本当は謎がない古代史
著者:八幡和郎
出版:SBクリエイティブ
日本の古代史ほど奇説・珍説が大手を振ってのさばっている国もない。有史以降については、『日本書紀』『古事記』に書いてあることを普通に読んで、皇国史観的な見方を排除していけば、おかしなことは書かれていないのだ。世界各国の歴史を見るのと同じように、自然体で日本の歴史を考察してみると、「謎」といわれていることのほとんどは「謎」ではない。「古代史の謎」とされるものは本当に「謎」といえるほどのことなのか。いますべての真実が明らかになる。・・・データベース・・・
初代天皇とされる神武天皇の後、第10代崇神(すじん)天皇までは「欠史八代」といって『日本書紀』には具体的な歴史が記されていません。「日本書紀」に記されている内容のどこまでが神話で、どこからが歴史なのかははっきりとしていませんが、第12代景行(けいこう)天皇、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の時代に熊襲(くまそ)を討つために九州へ遠征したという記述があり、当時日本を統一しようとしていた大和朝廷の軍事力を象徴しているとみなすことができます。
その後を継いだ第15代応神(おうじん)天皇のころには日本が統一されて、実在した天皇の時代へと歴史がつながっていくと考えることができます。ただ、この「日本書紀」は成立した時代に新たに書き下ろされたものではなく、国内外の様々な歴史書を参考にしながら編纂されました。編纂を命じたのは第40代天武(てんむ)天皇、編纂責任者は天武天皇の第3皇子にあたる舎人親王(とねりしんのう)です。こういう経緯があり、正史としての中国の歴史書とはちよっと捉え方が異なる部分です。このポイントを押さえた上でこの本を読むと、本のタイトルがいささか眉唾に見えてこようというものです。この本の章立てです。
目次
プロローグ どうして古代史は“謎だらけ”なのだろうか
第1章 「旧石器捏造事件」と「週替わり世紀の発見」の不思議
第2章 「神武東征」は記紀には書かれていなかった
第3章 畿内勢力が筑紫に初登場したのは邪馬台国が滅びてから
第4章 『魏志倭人伝』を外交文書として読めば真実は明白
第5章 継体天皇が新王朝を創った可能性はない
第6章 中国の混乱と大和朝廷必死の外交戦略
第7章 「聖徳太子架空説」と「天武朝の過大評価」を嗤う
第8章 「唐の落日」とともに「日本の古代」も終わった
エピローグ 古代の終焉から現代人が学ぶべきこと
日本の歴史を著したものにはこの「日本書紀」の他に、「続日本紀(しょくにほんぎ)」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳(もんとく)天皇実録」、「日本三代実録」が編纂されこれらを六国史(りっこくし)といいますが、あまり知られていないでしょう。いずれにしろ、飛鳥・奈良時代以降、朝廷には歴史書を編纂するための役所である史局が設置され、そこで書かれていますから、皇国史観にノ則った歴史ということができます。
この本もそれに従って書かれていますから、勢い流れは歴代天皇の事績を中心に語られていくことになります。本書の著者もそうですが、何故だか学者ではありません。ただ、どうせシロウトが書いた本だ、と侮ること勿れ。本来、学問にシロウトもクロウトもありません。どこかの大学の先生の説だからと言って例えば江上波夫先生の騎馬民族説なんてのが一時流行りましたが、今では否定されています。言って見れば確定していないのが日本古代史なのでしょう。
この本は、その「日本書紀」なり「こ軸」に書かれていることを是とした上で古代の歴史の問題点をあぶり出しています。そして、この視点から見ていくとその歴史に謎はないということになります。例えば、「邪馬台国」一つにしても、「日本車記」も含めて日本で書かれた書物にはこの記述は一つもありません。大和朝廷にとって「邪馬台国」は無くても問題ない存在だったということができます。
この本にはロマンはありませんが、国史という視点で歴史を顧みれば、この「日本書紀」に書かれたことが事象の原点でそこには謎がないということなのでしょう。ただ、この古代史、現在までの日本、中国、朝鮮をめぐる関係し的に捉えると、問題点の方がはすでにこの時点で発生していたことがわかってきます。そういう視点で、副読本として読むぶんには多面的な見方として受け入れられるのではないでしょうか。