過去記事の修正 88 クラシック編 | geezenstacの森

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過去記事の修正 88

クラシック編

 

 

 この「皇帝」の録音時セルは66歳、対するフライシャーは36歳です。倍ほどの年の差があります。ここはセルに百歩譲って録音しただろうということは予想されます。フライシャーのピアノはどの録音を聴いても実にきまじめです。本当に一音一音手を抜くことなく、一切の曖昧さを排除してかっちりと弾ききっています。極めて、セルのスタイルに似ています。ですから、フライシャーはセルの理想とするベートーヴェン像を弾けるピアニストとであったのでしょう。

 

 

 当時オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団の録音はコロンビアとRCAの2社から発売されていました。コロンビアにはワルターの名盤がありますし、セルもマーラーを録音していました。そこで、オーマンディはライバルのRCAにマーラーを録音したのではないでしょうか。
オーマンディはクック版の交響曲第10番もアメリカ初演していてそういう面ではマーラーに積極的だった部分が伺えますがレコーディングとしては交響曲は1番、2番と10番、それに「大地の歌」しか残していません。不思議です。

 

 

 1960年代といえばマーラーもそんなに一般的ではく、彼の代表的な曲といえばやはり、交響曲第1番「巨人」でした。今では第5番の方がよく聴かれるようですけどね。そんな事で入手したのがこの小沢征爾のマーラーです。小沢征爾はアナログ時代にもこの1番はグラモフォンに録音していました。そちらは今では異端児的な扱いの「花の章」付きの演奏でした。このフィリップス盤は全集を前提としての再録音という位置づけで、当然ながら「花の章」は収録されていません。

 

 

 不思議な事にフィリップスの看板アーティストだったハイティンクはレスピーギを録音していません。僅かにフィリップスに録音されたレスピーギを探すと1981年に、エド・デ・ワールトがサンフランシスコ響と「ローマの松」「ローマの噴水」を録音しています。という事で、マリナーに白羽の矢が立ったのでしょうか、1990年にこのCDの録音がなされました。オーケストラはマリナーの手兵のアカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズです。この名前は意外でした。

 

 

 今日取り上げるのは、レコードです。それも、アンドレ・プレヴィンのごく初期のロンドン響と録音したものです。こういうサンプラー的なものは国内盤は東芝EMIからは発売された事がありますが、RCAから発売された記憶はありません。という事でこれはイギリスRCAが発売したものです。今回使用しているジャケット写真はレコードでファクトリーシールドされたいてものを写していますからそのままシールが掛かっていて見にくいかもしれません。

 

 

 はっきり言って、アシュケナージは小生の中では理解出来ないアーティストの一人です。最近までは、この枠の中にロリン・マゼールも入っていたのですが、こちらは確信犯的変異体のストコフスキーという位置付けで接していこうと思っています。(^▽^;)ところが、アシュケナージはそういう者にも当てはまりません。ベースはピアニストとして評価した方が良いのかもしれませんが、小生の中ではピアニストしての認識が希薄で、代表盤であるショパンなんかは一枚も所有していません。

 

 

 ロシア出身ということでのアシュケナージのこだわりは祖国の作曲家の交響曲全集として結実しています。プロコフィエフ、ラフマニノフ、スクリャービン、そしてこのショスタコーヴッチを完成しています。アシュケナージの記念ボックス50枚組にはこの中から交響曲第7番「レニングラード」がチョイスされて収録されています。これは小生に取って望外の喜びです。既にロイヤルフィルとの第5番は所有しているし、何といっても7番は大好きな曲です。

 

 

 CDを整理していて、またまた記憶の無いものが出てきました。ザンデルリンクの指揮したショスタコーヴィチです。記録によると東京はお茶の水のディスクユニオンで購入したとあります。それにしても、見慣れないCD番号です。何処かの通販もののセットの中の一枚なのでしょうか。1991年の発売とあります。ジャケット写真は上記のようなものですが、裏は白紙です。この頃は、徳間ジャパンからはこんな廉価盤は出ていなかったように思います。

 

 

 このストコフスキーのシベリウスは彼の最晩年の録音です。この時94歳でした。まあ、100歳まで録音契約をしていたという怪物指揮者ですから、凄いバイタリティです。演奏は晩年もっぱら専属みたいに録音していたナショナル・フィルハーモニック管弦楽団です。このオーケストラ録音専用のオーケストラでしたが、この70年代か80年代がピークで、90年代以降はさっぱり名前を聞かなくなりました。CDが売れないので出番が無くなったんでしょうかね。

 

 

 最初、クレンペラーの「新世界」なんてどうもイメージが湧きませんでした。そして、耳にした第一印象は、なんというクールな演奏なんだ!というイメージでした。ケルテスやカラヤンのような躍動感のあるドラマティックな演奏とは、根本的に違います。それじゃあ、つまらない演奏かというとそんなことは決してありません。反対に、聴き進むほどに興味がわいてきて「こういう解釈もあるのか」という発見に行き着きます。さすが、クレンペラー。