どこかでベートーヴェン
著者/中山七里
出版/宝島社
高校音楽科に転入した岬洋介は、その卓越したピアノ演奏でたちまちクラスの面々を魅了する。しかしその才能は羨望と妬みをも集め、クラスメイトの岩倉にいじめられていた岬は、岩倉が他殺体で見つかったことで殺人の容疑をかけられる。憎悪を向けられる岬は自らの嫌疑を晴らすため、級友の鷹村とともに“最初の事件”に立ち向かう。その最中、岬のピアニスト人生を左右する悲運が…。---データベース---
遅咲きの作家中山七里の初見参の小説です。名前はうっすらと記憶していました。あとで知ることになるのですが、「さよならドビュッシー」の作者です。2009年の「このミステリーがすごい大賞」を受賞した作品ですな。この作品で48歳で小説家デビューを果たしています。そして、その作品で主人公となる岬洋介の初登場の作品というのがこの「どこかでベートーヴェン」なのです。そんなこととはつゆ知らず、タイトルに惹かれて軽い気持ちで読み始めたのがこの作品です。最初は青春ジュヴナイルショゥ説だと思い込んでしたのですが全然違いました。この本の章立てです。
プロローグ
第1章 生き生きと歌う様に
第2章 次第に激しくなって
第3章 不安が徐々に広がる
第4章 極めて苦しげに
第5章 心を込めて悲しげに
エピローグ
協奏曲
この作品、岬洋介が、岐阜の中濃地区の新設高校、県立加茂北高校が舞台です。まあ、こんな高校は実在しませんが、この小説の舞台となる背景には2000年の東海豪雨が発生しており、小説のバックボーンにはこの現象が取り入れられたストーリーになっています。
その加茂北高校は普通科に加えて音楽家が併設されていました。その音楽科は、普通高校よりも、勉強ができないから入る人もあり、必ずしも音楽が好きとは言えないところがありますが、
そういうクラスに岬洋介は転校してきます。物語はその岬を見守る設定の鷹村亮の視点で描かれています。そして、何を隠そうこの鷹村はのちに作家になりますから設定こそ違え作者の分身ということもできます。また、プロローグではショパンコンクールの経緯が出てきますが、これはこの作品の前に書かれた「いつまでもショパン」の事件を指していて、この作品がシリーズの回顧編を担っていて、岬洋介の原点を辿っていることがわかります。
その岬洋介は誰に教わることなく独学でピアノを勉強しています。そして、学校の音楽室にはヤマハのピアノとともにベヒシュタインが置かれていることに感動します。ピアノ以外には興味はない典型的なオタクなのですが、父親の影響で法学関係にも精通しています。その岬洋介が、ピアノをクラスメイトの前で弾くことにより、その才能のすごさに、みんな唖然とします。高校生のレベルを超えて相手にならないのです。音楽という神様は、努力するだけでは得ることのできない才能を岬洋介に授けているようです。
事件は大雨の日に起きます。高校の校舎が、山を切り開いたところに立てられ、大雨が降ることで、土砂が崩れ落ちる立地で、その土砂降りの雨の中で、下界と学校をつなぐ橋が崩落するのも顧みず、クラスメイトを助けに救助を呼びにいきますが、その時事件は発生します。川の下流でクラスメートが死体となって発見されたのです。岬は容疑者として拘束されてしまいます。
こうしてミステリーとしてはその謎解きがメインとなるのですが、圧倒的才能と殺人事件としての容疑者という現実の狭間で岬は孤立していきます。岬の圧倒的ピアノセンスに醜い嫉妬や憎悪が蔓延するなか、全く気にしない孤高のピアニストの彼。ここで担任の先生が言う圧倒的才能には絶対的に叶わないというのは正論は自身が音楽家出身だからこその現実味のある意見ですが、音楽だけではなく各々が必ず1つは才能を秘めていてそれがなにかを探す期間が学生というのは教育の本質だと諭します。
岬シリーズの最初の事件解決のエピソードとともに、タイトルのベートーヴェンが指し示す難聴に陥る岬の苦脳をも描きシリーズの原点を知る上ではまずは最初に読むべき作品でしょう。
文庫本で追加されている「協奏曲」は岬の父親を主人公に据えた作品ですが、エリート検事の父親が岐阜の御嵩に赴任した状況とそこでの事件解決を描いていますが、息子のサゼッションが事件解決の糸口になっているのはまさに親子の協奏のの結果でしょう。
そうそう、ペンネームの中山七里は岐阜県中部、下呂市にある、 益田川中流の峡谷の呼び名です。岐阜県下呂市、下呂温泉から飛騨金山(下呂市金山町)の飛騨川と馬瀬(まぜ)川の合流点(飛騨と美濃の国境)まで7里(27.5km)に渡って続く飛騨川のスケールの大きな渓谷が中山七里(なかやましちり)。併走する国道41号や高山本線の車窓から美しい渓谷美を堪能できます。作者の出身地である岐阜を舞台とした作品は、作者の原点を感じさせます。