ジョン・オグドンのメフィスト・ワルツ
The Mephisto Waltz & Other "Satanic" Piano Music
Of Franz Liszt
曲目/リスト
A1 Mephisto Waltz No. 1 ("The Dance At The Inn" From Lenau's "Faust") 11:05
A2 Funérailles (No. 7 Of "Harmonies Poétiques Et Religieuses") 10:05
A3 Étude D'Execution Transcendante D'Après Paganini, G. 140 No. 2 4:10
B1 Czárdás Macabre 6:20
B2 En Rêve (Nocturne) 2:30
B3 Trauer-Vorspiel Und Trauer-Marsch 7:50
B4 Mephisto Waltz No. 3 8:35
演奏/ジョン・オグドン
録音/1967-1970
SERAPHIM S−60170
探すときは見つからないのに、別のものを捜索していたらジョン・オグドンのレコードが見つかりました。ただし、オグドンのレコードで所有するのはこれ一枚です。当時はレパートリーの拡充を優先していたところがあって、演奏者は二の次でした。この一枚もその口で、リストのメフィスト・ワルツを聞きたくて購入したものです。オグドンがアシュケナージとともに第2回のチャイコフスキーコンクールで一位を分け合ったピアニストと知ったのはずいぶん後のことで、この当時は全く知りませんでした。
ここでちょっとジョン・オグドンのプロフィーネを。
1937年マンスフィールド・ウッドハウス生まれ。
1945年より王立マンチェスター・カレッジでイソ・エリンソンに師事。
1958年、イギリス北部各地でコンサートを開き、ロンドンデビューでは
フェルッチョ・ブゾーニのピアノ協奏曲を演奏してセンセーションを巻き起こす。
1960年、ブゾーニコンクール優勝。1961年、ブタベストでリストコンクール優勝。
1962年、第2回チャイコフスキーコンクル優勝。
ダイナミックで、雷鳴のような猛烈な響きに繊細なニュアンスを備え、堂々とした白熱した演奏からは、 霊感に満ちた、非常に人間的なまばゆい光を感じられます。
古典音楽から現代音楽まで、80人近い作曲家の数百曲を録音し、
カール・ニールセンやメシアン、アルカン、シェーンベルク、マイケル・ティペット、 アレグサンダー・ゴーア、ハリソン・バートウィスル、ソラブジなど、どんなものでも弾いています。ただ、自身は作曲家でもあり多くの作品を残していますが、そのために古典的作品の録音には消極的で、アシュケナージとは対極にありました。 しかし、ブラームスのピアノ協奏曲第2番を24時間の準備で演奏するなど、 殆ど初見で最高に難しい複雑な曲も弾きこなすテクニックの持ち主でした。
1973年に父方からの遺伝とみられる統合失調症の病のため演奏活動を中止。80年代に再びカムバックしたが、1989年、肺炎のため急死します。 病に冒されることがなかったら、現代最高のピアニストとして活動し続けていたでしょう。
さて、このアルバムの第1曲は当然リストの「メフィスト・ワルツ第1番」です。「村の居酒屋での踊り」のタイトルがついている通り、なかなか楽しい曲です。オグドンのキラキラ輝くタッチのピアノで引き込まれます。
ところで、このレコード日本では発売された形跡がありません。そもそも日本のセラフィムシリーズでオグドンのレコードが発売された形跡すらありません。日本ではあまり人気がなかったのでしょうかねぇ。
また、調べると面白いことにアメリンバンは2種類存在します。ジャケットは一緒で変わりがないのですが、初期のレーベルは下記のデザインだったようです。
ところが後期になると日本でも採用されていた下のデザインに変更されました。当方が所有するのもこちらのデザインです。
録音はイギリスでなされていますが、このレコード自体はアメリカのキャピトル製です。そして、初期は原盤の「2YEA-4074」の表記がありますが、後期盤はその表示がなくなっています。これはどういうことなのか調べてもわかりませんでした。
しかし、このセラフィムシリーズは解説も手抜きではなく、実にしっかりとしたものが記載されています。
また、中袋も無駄にしないで既存のアルバムの売れ筋のリストを載せており、当時のNONSUCHレーベルと同じように無駄なく反則に使っていました。これを見ても米キャピトルはエンジェル盤とメロディア盤、そしてセラフィムをクラシックの3本柱にしていたことがわかります。
ジョン・オグドンは最初は普通の体型でしたが、最後には太りすぎで巨漢になってしまい、それが原因で糖尿病を発症して亡くなってしまいます。イギリス切っての逸材だったのに、残念です。他にイギリス人ピアニストって知りませんなぁ。
このレコードはオムニバスで発売されたこともあり、CD化もされていませんし、