秦始皇帝陵の謎 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

始皇帝陵の謎
 

著者:岳南

監訳:朱建栄

出版:講談社 現代新書

 

 

 始皇帝陵の側近くから今世紀最大の考古学上の大発見となった“兵馬俑”の大地下軍団が発掘された。二千年の眠りから覚めた遺物群が、語りかけるものは何か。歴史の闇に閉ざされた始皇帝と秦王朝の、真実の姿に迫る。---データベース---

 

 現在名古屋市博物館では「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」が開催されています。なことで関連の書籍を手持ちの中で探したらこんな本が出てきました。1994年に発売されたもので、その時点では、一号俑坑と三号俑坑はそれぞれ1979年と1989年に公開されていますが、二号俑坑はまだ発掘途中でした。

 

 そんな状況で発売されたもので、実にリアルタイムのドキュメントのような仕上がりになっています。ネットで検索してもこの本は出てきませんなぁ。すでに絶版なんでしょうが、今読んでも兵馬俑発掘の現場からの等身大の発信は説得力があります。この本の章立てです。

 

プロローグ 世界8番目の不思議

第1章 地下からのメッセージ

第2章 今世紀の最も壮観な考古発掘

第3章 2号傭坑の発見

第4章 神秘的な地下軍団

第5章 兵馬俑坑はなぜ焼かれたか

第6章 世界唯一無二の奇跡

第7章 時の流れを越えて

第8章 始皇帝陵地下宮の謎

第9章 問題と展望

 

 謎を解く鍵――4000年以上にわたる中国の王朝歴史のなかで、彗星のように現れて、初めて全国を統一した大秦帝国は、戦乱などが原因で、文字の記録や物的資料をあまり残していません。その上、続く波瀾万丈の歴史の流れのなかで、秦代の真実の姿はますます濃い霧のかなたに隠れてしまっていました。それだけに、兵馬俑、銅車馬、馬きゅう坑、珍種動物坑などの発見と発掘、および始皇帝陵地下宮に対する調査は、この歴史研究の空白を埋め、中華民族の発展史における「失われた環(ミッシング・リンク)」を再びつなげたといえるのではないでしょうか。

 

 

 兵馬俑の発見はまだ文化大革命の嵐が吹きまくっている1974年3月29日が発端でした。例年にない干ばつに襲われていた西安の東北、臨潼県の農民が井戸を掘っていて偶然見つけた陶器の破片が事の始まりでした。この本では時系列的にどのようにこの発見が上層部に伝わっていったかを克明に描いています。この初期の発見の顛末は映画よりも面白てドキュメントです。新華社通信の記者が記事にしても人民日報に送ってもこれを記事としては取り上げず、内部発行の「状況匯編」に掲載されただけでした。対外的に報道されることはなかったのですが、国務院ではこの記事に着目し、文化財としての保護を打ち出したのでした。

 

 

 ということで、この本は秦始皇帝の兵馬俑の話題、とくに発掘史をディープに読める本です。俑とは古代中国で、殉死者の代わりに埋葬した人形(ひとがた)のこと。敵国のある東を向き、整然と隊列を組んで並ぶ兵士俑はほぼ等身大。表情、髪形、衣服のどれひとつとして同じ形のものはなく、始皇帝の軍団が広範な民族の混成部隊であったことを窺わせます。当初は鮮やかに彩色されていた俑。酸化による退色を防ぐため発掘は注意深く行われ、全貌はいまだ歴史の彼方に埋もれたままです。

 

 

 原著発行年の1993年現在までの発掘調査の結果どんなことがわかったのか?、何が分かっていなかったか?がよくわかります。著者の岳南はジャーナリストなので、読者をひきつけるようにいろいろ工夫しているようです。なかでも興味深いのが、第9章「問題と展望」で、「発掘技術の粗雑」「保存技術の未熟」「文物の盗掘と盗難」など中国考古学界の問題点が論じられています。定陵出土の萬暦時代の絹織物がぜんぶダメになったということははじめて知りました。また、本来の兵馬俑は着色されていましたが、現在は参加のため色が剥げ落ちて陶土の素の状態に戻ってしまっています。また、第八章の銅車馬をめぐって農民と対立、解放軍まで巻き込む醜い騒ぎになった事情は現在にも通ずるの中国の一端を表しています。