兵馬俑と古代中国
秦漢文明の遺産
先に取り上げた「秦始皇帝陵の謎」がむちゃくちゃ面白かったので、当初は出かける予定をしていなかった名古屋市博物館で開催中の「「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」へ出かけてきました。
この名古屋市博物館は我が家からは市バスで一本で行けてしまいます。始発から終点まで一時間ちょいのバス旅行気分です。
入り口前に飾られている「尾張時計鐔」安土・桃山時代から江戸時代初期にこの地方で作られていました。それをかたどったモニュメントです。
展覧会入り口
第1章 統一前夜の秦~西戎(せいじゅう)から中華へ
会場は章立てに3部構成になっています。今回は写真撮影は第1章はダメですが、第2章以降は撮影OKとなっていました。その第1章には騎馬俑(戦国秦 咸陽市文物考古研究所蔵 一級文物)が展示されています。下の画像はHPから転載しています。
小生は一応中国史を学んでいますし、それも古代史に興味がありましたからピンポイントで興味が刺さります。その中国、紀元前770年、周(しゅう)王朝の権威が次第に失われると、斉(せい)、楚(そ)、魏(ぎ)、燕(えん)、漢(かん)、趙(ちょう)、秦(しん)が独立する春秋戦国時代へと突入しました。約550年続いた戦乱の中で、西方の小さな勢力だった秦は東へと次第に領土を広げました。会場は春秋戦国時代の初期の秦でつくられた小さな兵馬俑(へいばよう)にみられるような素朴な造形や金製品、東方の中原文化を取り入れた青銅器や彩絵陶器などから、統一に至るまでの道筋を辿るように構成されています。そうなんです。始皇帝の時代だけ、兵馬俑は等身大で製作されたんです。これが秦の始皇帝を際立たせています。
会期もあと一週間ほどですから空いているのかなぁと思ったらとんでもない、人で溢れかえっていました。ここから第2章のコーナーです。
第2章 統一王朝の誕生~始皇帝(しこうてい)の時代
紀元前221年、史上初めて中国大陸の統一を果たした秦の嬴政(えいせい)は、「皇帝」を名乗り”始皇帝”となりました。その後、わずか十数年で秦王朝は滅亡しましたが、始皇帝陵に眠る兵士を忠実に再現したかのようにリアルで等身大の兵馬俑は、絶大な権力を今に伝えます。
このツボは左右の取っ手が非対称で大きさが違います。
上のものも合わせて戦場で打ち鳴らす鐘の役目をするもので太鼓とともに使用されたものです。上は退却の合図、下は進軍の合図に使われました。
青銅戟(秦代 秦始皇帝陵博物院)
青銅製の武器「戟(げき)」です。矛と弋を組み合わせた武器で、よく見ると文字が刻されているのがわかります。横向きになっているので少し読みにくいですが、上の行の真ん中あたりに「呂」続けて「布」「韋」。『キングダム』読者にはお馴染みの、秦の丞相・呂布韋です。「三年、相邦(丞相)呂布韋が造った」とあります。
この戟によって、墓が始皇帝陵だということが確認された重要な発見となりました。 「呂布韋って本当にいたんだなあ」と当たり前のことに感動してしまいました。
青銅剣
秦の時代は限られた兵士しか帯剣が許されませんでした。しかもこの時代は短剣が主流で80㎝以上あるこの長剣は秦の特徴でした。始皇帝も長剣を使用していて、キングダムでもその様子がしっかりと描かれています。腰に差していては抜けないので肩に背負って使用しました。この出土品、錆もなく、出土の状態で紙が19枚切れたと言います。これは鉛、銅、錫の合金で、表面はクロマイジングの酸化処理技術を使っていたというから驚きです。この技術20世紀にドイツで発明された技術でそれが秦の時代に完成されていたというのも謎です。
青銅製弩機
この弩機は以前読んでいた佐伯泰英氏の「新・古着屋総兵衛」シリーズで一族が使用していたので名前だけは知っていましたが、こういう武器とは知りませんでした。
跪座俑
動物の世話係で実際より小さく作られていて死んだ動物とともに埋められていたものです。
そして、第2章のハイライト、兵馬俑コーナーに入ります。
跪射武士俑 統一秦 高さ122㎝ 秦始皇帝陵博物院
鎧甲武士俑
立射武士俑
戦服将軍俑 この将軍俑は11体しか発見されていません。鎧は身につけず、剣を右手に持っていました。頭の冠にも特徴があります。これらの実際の兵俑は身長は全て180㎝以上あります。
戦車馬
鎧甲騎兵俑
当時の足元
鎧甲軍吏俑
今回の展示されてる兵馬俑は実際より小さいレプリカで15体ほどしか並んでいません。でも、実際は下の図のように整然と並んでいます。
上は一号俑抗の東の端の部分だけです。兵馬俑全体では8千体並んでいますから、その規模の大きさが想像できようというものです。
こちらがキングダムとコラボしたコーナーの展示です。
2号銅車馬(展示は複製品) 秦始皇帝陵博物院 一級文物
その横に工程が乗っていたと思われる2号銅車馬が置かれています。このレプリカは縮小サイズですが当時の雰囲気をよく伝えています。
後方の出入り口
車輪の構造
のぞき窓
座した御者 1号銅車馬は御者は立っています。
四頭立ての馬車
当時の発掘の状態
このコーナーが終わると第3章になります。
第3章 漢王朝の繁栄~劉邦(りゅうほう)から武帝まで
紀元前202年、漢の劉邦が再び中国大陸を統一し、漢王朝は秦の旧都・咸陽(かんよう)に長安城を築いて、秦の制度も引き継ぎました。一方、兵馬俑は50~70㎝程度と小さくなり、子豚や犬などの動物俑の登場や、前漢の武帝と関わる可能性の高い「鎏金青銅馬(りゅうきんせいどうば)」など、秦とは異なる文化も垣間見えます。およそ400年続いた壮大な漢王朝ですが、兵馬俑の規模は新時代と比べてスケールが小さくちょっと見劣りします。
彩色歩兵俑
胴体は陶製ですが、腕は木製だったため現存していません
騎馬俑
彩色騎馬俑
秦の半両銭
漢の半両銭
漢の五銖銭
漢の五銖銭の鋳型
金餅
一刀平五千金象牙
青銅鴨首壼
豚と牛
馬と犬
山羊
馬
「王精」龜鈕金印