歴史ウォッチング 4 | geezenstacの森

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歴史ウォッチング 4

 

編集:名古屋テレビ

出版:ひくまの出版

 

 

 幕末・明治維新から今日まで、激動の歴史とともに、つねに新時代をめざした人びとの栄光の軌跡を描く。さまざまな分野で活躍した東海の達人、奇人、偉人が鮮やかに勢ぞろい。「なごや人物記」決定版。---データベース---

 

 第3巻から読み始めましたが第4巻に出会いましたので、早速取り上げます。さらにディープな記事が満載です。名古屋市は明治22年に誕生していますが、明治維新に際しては尾張藩が徳川御三家の中でもいち早く官軍に協力したにもかかわらず、中央の洋食からは締め出されていました。そこで奮起したのが初代市長の吉田禄在でした。鉄道を中山道側の計画から東海道筋に変更を嘆願したり、全国でも東京に次いで2番目に名古屋に電灯が灯っています。この間の目次です。

目次

清須越し―400年前の遷都計画
十四代尾張藩主・徳川慶勝
日本一の貸本屋・大惣
黒川治愿伝―木曾川の水を堀川へ
中部財界のご意見番―矢田績
名古屋港誕生―七里の渡しから世界の港へ
洋食器への道―ノリタケ誕生
三味線からバイオリンへ―鈴木政吉物語
海を越えたパンのかけ橋―シキシマパン物語
アツタ号誕生―国産乗用車第一号
きらめきの昭和12年―名古屋汎太平洋平和博覧会〔ほか〕

 

十日切りの貸本、紙魚のわずらわしいなし。

尤も、借りて損のゆかざるもの

夕立の屁、雨の日の貸本

 

 これは名古屋の「大惣」という貸本屋のために書いた滝沢馬琴の広告です。江戸時代の貸本屋は本を風呂敷に入れてそれを背負って顧客を回るというスタイルでしたが、この大惣は、お客が店まで来て十日を一区切りに貸し出していて、今の図書館のようなスタイルをとっていました。江戸時代後半には江戸と大阪合わせて1000件以上の貸本屋があったそうですが、この大惣は蔵書数2万1千冊と質、量ともに日本一の貸本屋としてその名を轟かせていました。大惣のベストセラーは秀吉の出身地ということで、「絵本太平記」がトップで、「東海道中膝栗毛」、「浮世風呂」、南総里見八犬伝」などが好評だったようです。

 

 鈴木ヴァイオリン製造をご存知でしょうか。日本の誇るヴァイオリン製造メーカーです。尾張藩の下級武士に生まれた鈴木政吉が一代で築き上げた会社で、つい最近まで中川運河にほど近い名古屋市中川区に工場がありました。現在は知多半島の大府市に移転していますが、国内製造40%以上を占める企業規模を誇っています。この鈴木政吉の三男は、幼児・子供の音楽教育法で有名なスズキ・メソードの創設者の鈴木鎮一です。この10月22日のJR東海のさわやかウォーキングでこの鈴木ヴァイオリン製造がコースに組み込まれていますので、ぜひ参加しようと思っています。

 

 さて、この本では国産乗用車第一号として「アツタ号」が登場しています。昭和に入って自動車国産化の気運が盛り上がるなか、名古屋市では大岩勇夫市長が中京自動車工業化構想を提唱します。中京デトロイト化構想とも呼ばれるこの構想は、中京地区に発達している機械工業を活用し、自動車工業を確立しようとするものでした。この中京デトロイト化構想は、大岩市長の斡旋により名古屋市内の機械関係各社が参加し、愛知時計電機の青木鎌太郎社長がまとめ役となって推進された。1930年夏には乗用車の試作に着手し、米国の乗用車「ナッシュ」をモデルに各社が開発を分担することになった。大隈鉄工所は機関と伝達装置、日本車両製造は車台枠(フレーム)と車体、岡本自転車自動車製作所は車輪とブレーキ、豊田式織機は鋳物部品をそれぞれ担当し、1932年3月に試作車2台が完成しています。

 

 

 しかし、当時の量販車フォードの販売価格は3,000円であったのに対して、「アツタ号」の価格は6,500円と倍以上に設定されました。しかし、コストはそれをさらに上回る9,200円もかかったため採算が取れず、結局50台あまりが製造されただけで挫折しています。ただ、ここでの製造経験はやがて愛知の自動車王国の基礎になっていたことは間違い無いでしょう。

 

 1910年(明治43年)3月16日から6月13日の90日間の会期が設定され、造成が開始されたばかりの鶴舞公園を会場に開催されました。関西府県連合共進会とは銘打っていたものの、参加府県は北海道・東北地方の県を除く3府28県にも及び、果ては台湾(当時は日本統治下)からも出品されています。入場者数は263万2,748人と記録されており、これは当時の名古屋市の人口約41万人を軽く超えるものでした。10万坪の敷地に本館、機械館、特許館、台湾館、林業館、眺望台、名古屋市記念館(迎賓館)などが建設されました。また名古屋開府300年記念事業として噴水塔、奏楽堂が建設され、現在も歴史的遺産として公園内に当時のままの姿を残し市民の憩いの場所となっています。表紙のカバー写真はその噴水塔と現在の名古屋市公会堂です。

 

 

 

当時の会場図と写真、手前を現在のJR中央線が走っていますから図は上が東になります。噴水塔の奥が会場入り口の建物で、その奥に奏楽堂があります。噴水塔の右手には名古屋城を模した愛知県の物産館がありました。今のトラック競技場あたりでしょうか。

 

 この間はディープに名古屋のエピソードを集めています。名古屋に国技館があったとかつるレコード、マキノの中部撮影所があったとか新しい発見がいくつもあります。