歴史ウオッチング 3 | geezenstacの森

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歴史ウオッチング 3

 

編集:名古屋テレビ

出版:ひくまの出版

 

 

 ヤマトタケルの昔から、戦国動乱をくぐりぬけ、徳川、そして近代・現代まで、東海はつねに日本の政治、経済、文化の一大拠点として栄えてきた。その史跡にかくされた謎とロマンを追って、あなたも旅に出ませんか---データベース---

 

 

 結構古い本です。地元の放送局の名古屋テレビが1989年に出版した東海三県の歴史にまつわるエピソードをまとめた本です。なかなか評判がよおったのかこの本は第3集になっています。そろそろネタ切れでかなりディープな内容に踏み込んでいるとみられるあたりから読み始めました。

 

 で、結果は非常に面白く知らないことだらけで、とても興味深く読めました。データベースにある通り、日本の政治、経済、文化の一大拠点としての東海地方を改めて知るきっかけになりました。専門書ではなく小ネタ的な扱いで、一つ一つのテーマを取り上げています。目次は以下のようになっています。

 

目次

武田勝頼の恋文―長篠合戦異聞
国宝・犬山城
城下町・犬山
歌人・佐佐木信綱―その故郷・鈴鹿を訪ねて
松平定信―もうひとつの顔
天保発掘記―諸桑の丸木船
東海市が生んだ実学者・細井平洲
郡上踊りと宝暦一揆
伝承・伊吹山―ヤマトタケルの敗戦
三河の花火師たち〔ほか〕

 

 で、表紙の写真は誰だと思います?ヤマトタケルなんですな。通説では大蛇退治の後病を得て亡くなりますが、その地が今の三重県伊賀市ということで、ここで取り上げられています。

 

 一番ばっくりしたのが、寛政の改革で知られる白川藩の松平定信が隠居後、桑名藩に転封されていたことです。まあ、実際に桑名の領地に入ったことはありませんが、幕末は桑名藩の隠居人として過ごしたというわけです。そんなことで、桑名には息子の松平定行が菩提寺の照源寺に墓を建てています。

 

 桑名市つながりてもう一つ、桑名の南魚町の「仏眼院」に「千子衆入弾正」の碑銘がある暮石は、伊勢桑名の刀鍛冶村正の墓なのです。刀は武士の魂ということで、鎌倉の五郎正宗、関の孫六、江戸の長曾根虎徹が知られていますが、それらの中で村正は妖刀として徳川家に祟りをもたらした刀として知られています。江戸時代にはこの村正をコレクションしていた長崎奉行が「幕府への反逆の意思あり」ということで、寛永11年(1634)に切腹させられお家断絶に追い込まれています。反対に幕末には、志士が好んで村正を求め、有栖川熾仁親王が江戸城開城の際にさしていたのも村正といわれています。

 

 また、江戸時代の吉原には投げ込み寺としての浄閑寺があり、吉原の女郎を葬っていましたが、江戸時代街道一栄えた七里の渡しを抱える宮の宿がありました。ということはこの地も飯盛女がたくさんいたということです。その投げ込み寺を探すと熱田区白鳥2丁目にある「成福寺」がそれに当たるそうです。その寺に残されている過去帳には文政8年から明治20年までの62年間に403人もの遊女や行き倒れの旅人を供養したそうです。埋葬地は名古屋最大の断夫山古墳の北西の地、今は熱田球場になっています。

 

 まあ、このような歴史にまつわる小話がギッシリ収められています。絶版の本ですが、今読んでも面白い本です。