バーンスタイン/イスラエルのハルサイ、ペトルーシュカ | geezenstacの森

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バーンスタイン/イスラエル

春の祭典、ペトルーシュカ

 

曲目/ストラヴィンスキー

1. バレエ音楽『春の祭典』(1913年版)36’57
2. バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1947年改訂版)34’28

 

指揮:レナード・バーンスタイン

演奏:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

ピアノ:ボリス・ベルマン

録音:1982年4月26-29日

EP:ハンノ・リンケ

P:ハンス・ウェッバー

E:カール=オーガスト・ニーグラー

場所:Frederic R.Mann Auditorium ,テルアヴィヴ

DG 429493-2

 

 

 このCDはいわゆるハノーハァープレスによるもので、3Dシリーズとして発売されたものです。このCDの特徴は細かいインデックスが打ってある点で、こういうことができるのがCDの特徴とばかりに宣伝していました。曲を分析する人には良いかもしれませんが一般の愛好家にとっては煩わしいばかりでした。

 

 さて、これはレナード・バーンスタイン(1918-1990)の3回目、そして最後のハルサイの録音です。オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団が起用されています。今では

ニューヨーク・フィルハーモニックとの第1回目の音源も所有していますが、その演奏があまりにも鮮烈で記憶も新しいため、このイスラエル・フィル盤の方が古い録音のような錯覚を覚えます。ちなみに2回目はロンドン交響楽団との72年の録音ですが、あまり目立ちません。特にロンドン響盤との相違が顕著で、SQ4チャンネルをベースとしてオーケストラの全貌を遠距離から捉えるロンドン盤に対し、当イスラエル・フィル盤は近接感も生々しく、立ち上がりの良いリアルな響きを感じとることができます。

 

 さて、バーンスタインについては、ヨーロッパ進出後、急激なテンポダウンと過剰とも言えるような表現が特徴となります。

この「春の祭典」も例外ではなく、ニューヨークフィルとの録音は34:34でいたって標準的なタイムでの演奏でした。また、ストラヴィンスキーの自作自演では意外と早く、31:26ほどで演奏しています。いろいろ調べてみると、サイモン・ラトルがバーミンガムと録音したものは36:21で、またルネ・レイボヴィッツがリーダーズ・ダイジェストにロンドン・フェスティバルOと録音したものも36:35と結構バーンスタイン並みのテンポで演奏しています。

 

 ただ、いろいろネットで調べてみるとこのバーンスタインの演奏には不思議なところがあります。これはニューヨークフィルとの演奏でも確認できるのですが、バーンスタイン・ゴースト」が存在します。これはwikiにも記してある事柄に関連するのですが、それは、第2曲「春のきざし」のホルンソロによる主題吹奏(スコア上段)の前に現れる音句で、楽譜では「コル・レーニョ」との記載があるものがあります。第2ヴァイオリンのところの145小節にあたる部分です。

 

 ストラヴィンスキーは金儲けのためにスコアをよく改変したことで知られていますが、その改変を小沢/シカゴ響の「春の祭典」の録音の時にも立ち会ってスコアを書き換えたというのです。で、小沢は従来のスコアと変更したスコアのバージョンの両方を録音したようですが、結局リリースしたのは従来のバージョンのままの演奏のものだったようです。で、その小沢の録音も聴いてみましたが、確かにこの「ゴースト」を聴き取ることができました。この録音は1913年版と表示されていますが、「春の祭典」の初稿では「バーンスタイン・ゴースト」が正しい演奏であり(あるいは、コル・レーニョの記譜が欠落した)、その後の改訂でコル・レーニョが付記されたと考えることが相当ではないかと思います。ちなみに、バーンスタインにとって「春の祭典」のスコアとは、初稿(初演稿ではない)を指しています。ちなみに耳をすまして聴くと、ダヴィド・ジンマン/チューリッヒ・トーハレ管弦楽団やアンドルー・デイヴィス/トロント響もこのゴーストを聴き取ることができます。

 

 さて、この演奏テンポが遅いことでバーンスタインの老害を指摘する人がいますが、そうとは言い切れません。特に、第2部序奏から「乙女たちの神秘的な集い」にかけての箇所がスローになるのですが、ここは、もうそれだけで一編の交響詩のようです。何と濃密な世界でしょう。バレエ音楽としては油絵的に塗り込まれた表現を聴かされている感覚ですが、ストーリー的にはこれはこれでアリだと思います。

 

 ただ、このイスラエルフィルとの録音で以前の録音との違いを感じるのは、第11曲「生贄の賛美」繰り返し時の大太鼓が前打ちに転じます。これは、録音史的にはアバド/ロンドン響盤で初めて現れたスコアですが、1920年代以前のスコアではありえません。さらに全曲終結の際の打楽器が消えています。そんなことで、後半部分は「1947/1967年版」を採用しているのではないでしょうか。そういう意味ではニューヨークフィル、ロンドン響よりも進歩している録音ということができます。

 

 そうそう、このレコーディング、ライブの表示がありますが全くノイズは聞き取れませんし、拍手もありません。多分、リハーサル・セッションなんでしょうなぁ。

 

 

 ペトルーシュカの方は1947年版に演奏です。まあ、一般的には3管編成のこちらの版による演奏の方が多いでしょう。こちらも、録音が新しい分、音にキレがありなかなかメリハリのある音楽になっています。元々がピアノ協奏曲として構想されたものらしく、ピアノが活躍するのがこの曲の特徴でしょう。ここではハワード・ベルマンなるピアニストが弾いていますが、この人については詳しくは知りません。ロシア生まれながら73年にイスラエルに移住し、そこからアメリカに渡米してエール大学などで教鞭をとっているようです。なかなか味のあるピアノを披露しています。

 

 バーンスタインはこちらも、緻密な表現でペトルーシュカの心理描写を的確にしていて、表情の変化を見事に表出しています。こちらも一応ライブと謳われていますが、ノイズは全くありません。多分曲ごとに細切れで収録していると思いますが、そういう収録が生きているのかフレーズごとに表情が異なり次々に期待が湧いてくる演奏になっています。なぜか、かなり以前の録音のイヴォンヌ・ロリオのピアノ、ルドルフ・アルベルト/チェント・ソリ管弦楽団の演奏を思い出しました。