デイヴィス/モーツァルト管弦楽曲集 | geezenstacの森

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デイヴィス

モーツァルト管弦楽曲集

 

曲目/モーツァルト

1.セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

2.3つのドイツ舞曲K.605

3.メヌエット(ディヴェルティメント第17番 ニ長調 K.334 より第3楽章)

4.歌劇「フィガロの結婚」序曲*

5.歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲*

6.歌劇「後宮よりの逃走」序曲*

7.歌劇「魔笛」序曲*

 

指揮/コリン・デイヴィス

演奏/フィルハーモニア管弦楽団

   ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団*

  

録音/1959.05/21,22、1961/02/5,6*

東芝EMI EAC−30026

 

 

 EMI時代にコリン・デイヴィスはモーツァルトの作品を2枚残しています。これは、レコード時代に何度も再発されたもので、最初は同じセラフィムの名曲シリーズで1000円盤でAA-5026で発売されました。そして、1300円盤になってこの番号で再発売されたものです。EMIにはこれだけまとまってモーツァルトの商品を録音したアーティストはいなかったということなんでしょう。

 

 コリン・デイヴィスと言えば、貧しい家庭に育ったためにピアノを買うことができず、そのために最も値段の安かったクラリネットで音楽の学習を開始したという話は有名です。そして、ピアノの演奏能力に問題があったために音楽大学では指揮法の履修を断られたという話も、これまた知る人ぞ知る有名なエピソードです。
 

 しかしながら、そう言う境遇にもめげずに、自分たちの仲間内でカルマー管弦楽団を作って指揮活動を始め、スコティシユ管弦楽団の副指揮者からサドラーズ・ウェルズ・オペラの指揮者になります。そして、ついにはクレンペラーが病気で「ドン・ジョヴァンニ」の指揮をキャンセルしたとき(1959年)に、その代役として指揮をして大成功を収めと言う話も、これまた有名です。

 

若かりし頃のコリン・デイヴィス

 

 ここでは前半をフィルハーモニア管弦楽団との演奏、後半をロイヤルフィルの演奏でまとめています。最初は「アイネ・クライネ」です。これ、レコード時代はよく聴いた演奏で、大評判と言われるワルターの演奏よりも聴き込みました。

 

 丁寧な音楽づくりで、ワルターよりももう少し中庸なテンポで第一楽章の冒頭を聴いてもそれほど押し出しのあるものではありません。それでも、聴き進めていくと、これ実にいい塩梅なんですなぁ。いかにもモーツァルトらしい優雅な響きでついつい聞き惚れてしまいます。そんな魅力があるので昔からこの演奏もよく聞かれていてのでしょうなぁ。

 

 

 モーツァルトのディヴェルティメントの中では一番好きな曲です。昔から朝の目覚めの音楽として聴いていました。地元のFM曲の朝の開始の音楽だったんですな。モーツァルトのディヴェルティメントはそんなに録音していないカラヤンもこの曲は残しています。

 

 ここでも、デイヴィスは中庸のテンポで優雅なメヌエットに仕上げています。デイヴィスはフィルハーモニアとはそんなに録音を残していませんが、ここではバランスといいねテンポといいうまくオーケストラをコントロールしています。カラヤンのような華やかさはありませんが、いい演奏です。

 

 

 さて、ここからはロイヤルフィルを振ってのモーツァ。とです。デイヴィスはほぼ全てのモーツァルトの序曲を録音していますが、ここでは大表的な4つの序曲がチョイスされて収録されています。

 

 ますは「フィガロの結婚」です。サドラーズではオペラ指揮者として活躍していましたからオペラはお手の物です。ここでも中庸のテンポで音楽をまとめています。60年ごろのスタイルといってもいい演奏で、今ではこういう演奏をする指揮者は少ないんじゃないでしょうか。

 

 

 続いて「ドン・ジョヴァンニ」です。もともとこのオペラの指揮で注目されたデイヴィスですから、十八番といってもいい演奏です。重心の低い演奏で、オペラの性格を克明に描いています。

 

 

 「後宮よりの逃走」は出だしが勇ましい曲です。それに対して中間部はアンダンテにテンポが変化します。その変化がダイナミックでたのしめます。多分このオムニバス版を選曲した人物はそこが面白いので「コシ・ファン・トゥッテ」よりこちらを選んだのではないでしょうかね。

 

 

 最後は「魔笛」です。この曲が最後に収録されている割にはこれが一番平凡な演奏です。この曲に関してはややリズムが重たくメルヘン性が高いこの曲とはちょっと合わないのかなぁ、というのが個人的な感想です。

 

 

 こんなことで、60年代で聞いた記憶が蘇るとともにフレッシュなデイヴィスの感覚が改めて当時の時代性にはマッチしていたんだなぁと感じた次第です。