小牧・長久手の戦いゆかりの地を巡るウォーキング 2 | geezenstacの森

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リニモ春風ウォーキング

小牧・長久手の戦いゆかりの地を巡る 2

 

 「色金山歴史公園」は山の上にあり、逆コースで登るとその高低差がわかります。そして、登りきったところには駐車場もあり公園の北側に「胡牀庵」があります。

 

 

 

 愛知県犬山市の国宝茶室「如庵(じょあん)」を模した「胡牀庵(こしょうあん)」のほか立礼席(りゅうれいせき/椅子に腰掛けておこなう茶席のスタイル)と二つの和室があります。

 

 この北口から進むと展望テラスの下には、長久手の戦いを描いた大きなレリーフが掲げられています。「家康軍議の図」と「進軍の図」があり、合戦の様子がイキイキと描かれています。

 

レリーフ「家康軍議の図」(夢童由里子作)

 

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 さて、色金山は家康が陣を張って軍議を開いたといわれる山で、平成8年に公園として史跡の周辺が整備されました。床机石広場にある「 床机石(しょうぎいし)」は、家康が軍議の時に座っていた石。この石に腰掛けながら、軍議を開いたと言われる場所です。

 

 

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 山頂には、戦国期の砦(とりで)を思わせる木製の展望テラスもあります。階段をのぼり、上から景色を眺めると、激戦地となった仏ケ根方面(現在の長久手古戦場付近)が遠望できるはずですが、今では木々が成長しすぎて全く見ることができません。

 

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 鉄砲狭間を模した木製の囲いはなかなか洒落ています。

 
 
 逆コースを辿って山を降りて行くと参道の脇には、激しい争いで3,000人以上の死者が出た、長久手の戦い。公園内には、慰霊碑が立っています。
 

 

 小牧・長久手の戦いで死んだ徳川方の伴若狭守盛兼の墓碑が下ったところにあります。

 

 

 さらに下ると長久手合戦の慰霊碑も建っています。

 

 

 家康が出陣した時には祈願した八幡社がこの地にあり、現在は碑だけが残っています。

 

 

 この南側には馬泉水(ばせんすい)広場があり憩いの場所になっています。

 

 

 参道は「史跡床机石観音道」として整備されています。

 

 さて、この道を降りると実は「安昌寺」の墓地の横に抜けます。ここから、ダイレクトに「首塚」に向かいます。安障子から道を渡った南側です。

 

 

 

 この石碑は明治時代に地元の有志によって立てられたものです。住宅街と駐車場の間にひっそりとあるので見逃してしまいそうですが、歴史を知る上では外せない場所なのではないでしょうか。

 

 

 塚の前には祠があります。

 

 

 こんな石像が祀られています。

 

 さて、ここからは戦の主戦場となった長久手古戦場に向かいます。

 

 

 古戦場公園の南口です。このすぐそばに池田元助討死の場所(庄九郎塚)があります。

 

 

 池田輝政の兄・元助の墓も古戦場公園の南側にあります。遺体は無いので実際には供養塔ですね。

 

 で、もう一つの池田恒興討死の場所(勝入塚)は公園の北側にあります。

 

 

 池田輝政の父・恒興が亡くなったと考えられる場所に建つ勝入塚です。遺体が埋まっているワケではなく、供養塔みたいなものですね。

 

 

 

 さて、公園の中央には「長久手郷土資料室」があります。

 

 ここには長久手の戦いにまつわるいろいろな資料が展示してあります。

 

 

 

 

 

 

 

公園全景の写真

 

 

 

 

 

 

 資料館の二階は郷土資料が展示してあります。

 

棒の手

 

鉄砲などの展示

 

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甲冑の展示

軍配団扇

長久手城や古墳の紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この資料館ではこんなものを入手しました。

 

古戦場朱印

 この朱印はここにしかありません。限定二百部のみです。御朱印、古城印とは違う趣があります。

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 公園から東に戻ります。そこには「武蔵塚」があります。

 

 

 天正十二年(1584)の長久手合戦で、羽柴軍の武将・森長可(もりながよし)が討死したといわれる場所です。武蔵塚の名前の由来ですが、長可は武蔵守(むさしのかみ)という官位を授かっていたので、その官位から付いた名前だといわれています。

 

 本来のウォーキングコースとはちょっとずれましたが本来の長久手の戦いゆかりの地を満喫したウォーキングとなりました。