小牧・長久手の戦いゆかりの地を巡るウォーキング 1 | geezenstacの森

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リニモ春風ウォーキング

小牧・長久手の戦いゆかりの地を巡る 1

 

 

 土曜日は朝方に雨が上がったので、予定どおりウォーキングに出かけました。このリニモウォーキングはもう3回目なのですが、休みの関係でこのシーズンは初参加となりました。杁ヶ池公園駅からスタートして、お隣の長久手古戦場駅までのルートです。

 

 そもそもこのウォーキングはあまり大々的に告知されておらず知らない人の方が多いのではないでしょうか。小生も知ったのはすでに第1回の3月6日の開催は終わっていました。ところがこの回は新型コロナで蔓延防止期間が延長された期間だったので中止になっていました。しかし、すでに4月の仕事のスケジュールも決まっていたので、2回目も参加できなかったというタイミングで寝今回ようやく参加できた次第です。

 

 
 杁ヶ池公園駅は幹線道路上にある高架駅です。雨は朝方に上がりましたが、上空はまだ厚い雲が覆っています。しかし、気温はすでに20度以上と半袖で十分です。ここから最初のポイント「血の池」に向かいます。

 

 

 コース地図ではアピタ長久手店の横の通りを進むように指示してありますが、一本東側には小さなせせらぎがあり、「せせらぎの径」として整備されています。コメダ図書館通り店あたりからBOOKOFFグリーンロード店まで続く細長い散歩道です。道路ではなく、長久手市管理の公園ということになっています。

 

 

  この写真のような水景施設、東屋、オブジェ等を設置し、住民の憩いの場となっています。

 

 今回のコースには入っていませんが、このせせらぎの径の北側に長久手城址があります。長久手城は戦国時代にこの地に勢力を持っていた加藤氏の居城跡です。まあ、平城だったでしょう。

 

 

 天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦時、当主の加藤忠景は岩崎城主の丹羽氏を親戚関係であったため、丹羽氏重と共に岩崎城に籠城します。こちらは山城です。そして池田恒興ら岡崎城攻撃隊と合戦になり、岩崎城に籠城しましたが落城して亡くなりました。主がいなくなり、長久手城もこの戦いで兵火に焼かれ廃城となりました。

 

 

 

 

 こんな碑がポツンとあり、碑の横にこじんまりした墓と観音堂があります。長久手観音を祀ってあります。

 

 

 さて、コース上を歩くとすぐに「血の池公園」に到着します。

 

 

 ここは、小牧・長久手の戦いで、渡辺半蔵らが血のついた槍や刀を洗って真っ赤になったとされる池を埋めて整備した公園です。「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる」という伝説が残されていますが、公衆トイレの水を流したら赤い水が流れる的なアトラクションは一切ありません。

 

 

 現在は公園の中央はグランドになっています。

 

 

 コース沿いに北側の道路に出て東に進むと「富士社」がデーンと見えてきます。写真は一の鳥居です。ここを登り頂上まで行くと「富士浅間神社」が鎮座しています。ちなみに「小牧・長久手の戦い」では徳川家康はここに陣を置き、頂上に金扇の馬標(馬印)を立てたそうです。

 

二の鳥居

 

「富士浅間神社」社殿

 

 

 

 家康は自軍の先遣隊が桧ケ根で秀吉軍の堀隊に敗れ敗走してくるのを見て、兵の一部をこの山に向かわせ頂きに金扇の馬印を立て喚声をあげさせ堀隊を威嚇しました。堀秀政は山頂の馬印を見て家康本隊が迫っていることに驚いて兵を退却させてしまい。戦況は一変します。そうです、この山は「御旗山」と呼ばれている山なのです。

 

  さて、ここからはコースを逆に取り、先に「安昌寺」へ向かいます。

 

 

 「安昌寺」の正門の横には大きな菩提樹が見えてきます。

 

 

 現在では山齢30年を超すしていますなぁ。この菩提樹の巨木の北側には薄墨櫻も植えられています。

 

 

 安昌寺は山号は久岳山、曹洞宗寺院です。長久手合戦の折、
雲山和尚が戦死した人々の霊を懇ろに弔い、合戦後、多くの尾張藩士が訪れ、多数の書付を残しています。

 

安昌寺鐘楼

 

 

 本堂では法要が行われていました。

 

 

 そんなことで、こちらの観音堂でお参りです。この御本尊は平安時代初期に作成された、十一面観音が安置されています。百年に一度、御開帳されるそうです。

 

 

 

 

 

 この観音堂に掲出されている絵画は檀家の人々が書いたものでしょう。

 

 さて、家康本隊の陣取った色金山へは右側から回り込みますが、それは明日の心だ!!