2022年2月2日
帰国から50年の横井庄一さん
終戦から28年、1972年1月24日早朝エビ取りの仕掛けを川に仕掛けて草むらから出ると目の前に島民がいて取り押さえられます。この日、横井さんの戦争は終わりました。そして、日本に戻ってきたのがこの2月2日でした。地元の放送局、CBCテレビでその『「恥ずかしながら・・・」-帰国50年 “横井さん”の真実-』が放送されました。
横井さんは愛知県の生まれでした。もともと仕立て職人だった横井さんは、衣服や生活用品も工夫して作り上げ、サバイバル生活を28年も続けたということは驚異としか思えません。下のドキュメントでは、帰国時に日本軍には武器が無かったからジャングルに逃避した。10年後には日本軍が救出に来てくれると信じていたということを会見で述べています。戦前の日本軍の洗脳の恐ろしさを感じました。
今となってはこれも歴史の一部ですが、この1972年には様々な事件が発生していました。
1月24日 グアム島で横井庄一さん発見。
2月2日に横井さん帰国。
3日に札幌五輪開幕。
19日に連合赤軍あさま山荘事件。28日全員逮捕。
5月15日 沖縄返還。沖縄県発足
6月17日 - 佐藤栄作首相退陣表明。
7月7日 田中角栄内閣発足。
16日 大相撲・名古屋場所で高見山が優勝 外国人力士として史上初の幕内優勝。
9月29日 日中国交正常化の共同声明調印。
10月19日 - フィリピンのルバング島にて警察と生き残りの日本兵とで襲撃戦が発生
11月6日 羽田発福岡行き・日航機ハイジャック事件。
ここで、10月19日の事件はあまり大きく報道されていません。しかし、これが1974年の小野田 寛郎の発見に発展していきます。小野田は情報将校ということもあり、潜伏期間中に29年間継続した作戦行為によって、フィリピン兵士、警察官、民間人、在比アメリカ軍の兵士を30人以上殺傷したとされ、島内にあったアメリカ軍レーダーサイトへの襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開したようですこのことが後の補償問題にも発展しています。
その点、横井氏は軍曹であり、孤高のサバイバルを生き抜いたことで、その生活力が称賛されました。このドキュメントでは当時の病院でのカルテが初めて公開されたこともあり、そのジャングルでの潜伏生活差の壮絶さを再認識させてくれました。