志鳥栄八郎の音楽千夜一夜
著者 : 志鳥栄八郎
発行 : 音楽之友社
ホールという楽器、ピアニストから首相になったパデレフスキ、「第九」への思い…。視力の悪化やさまざまな病いと闘う著者によるおしゃべり音楽随筆。「音楽春夏秋冬」の改題改訂。---データベース---
目次
ホールという楽器
信念を貫いたフルトヴェングラー
モントルー国際レコード大賞
生ける音楽史―アンセルメ
七転び八起き
音楽院に入れなかったヴェルディ
ただ一曲に名を残して
ピアニストから首相の椅子へ
“怪物”ストコフスキー
密林に流れるバッハ
クラシック音楽を本格的に聴き始めたのは、中学生の頃からで、日曜日の朝にNHKのラジオから流れてくる今でも続いている「音楽の泉」をよく聞いていました。堀内敬三さんの解説が耳にこころよく響いたいたのを覚えています。高校生になり、モジュラータイプのステレオを買ってもらうと、レコード情報の仕入れで「レコード芸術」を買い、エアチェックのために「FMfan」などの音楽雑誌を読むようになりました。
その頃音楽解説やレコードの新譜月評批評を書いていたのが、志鳥栄八郎氏でした。1974年に出された『私のレコードライブラリー」(上中下3巻、志鳥栄八郎 共同通信社)は、私にとってバイブルのようなものとなり、今も手元においてあります。レコ芸では当時管弦楽曲を担当されていましたが、レコ芸の口調よりも、「FMfan」の語り口の方が柔らかく彼の解説に惹かれたのを覚えています。
さてこの「音楽千夜一夜」は、曲やディスクの解説ではありません。1969年8月から「ステレオ誌」に掲載されたもので、当時整腸剤キノホルムの副作用で脊髄視神経神経症に悩んでいた著者に、編集者が「お目が不自由なら、おしゃべり音楽随筆」でも書かれたら如何でしょう」との提案を受けて書き出したクラシック音楽についての様々なエピソードやエッセイとなっています。 冒頭、「ホールという楽器」から始まりますが、この一文で引き込まれてしまいます。その部分です。
◼️ホールという楽器
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の本拠であるコンセルトヘボウ(英語でコンサートホールの意)は「コンサートホールのストラディヴァリ」とまで云われ、その響きの良さで知られている。ところが、1983年にこのコンセルトヘボウが、地盤沈下のためホール各所にひび割れを生じ、このままでは倒壊の恐れがあるといわれた。このホールは、じつは国立でもなければ市立でもなく、株式会社組織のものである。だからこうしたピンチに見舞われても、改修工事の費用は国の予算で賄われる訳ではない。そこでコンセルトヘボウは、全世界に救済の募金を呼びかけた。そうして集まった金額は、およそ24億5千万円。そのなかには、日本の経団連が寄付した約8千4百万円も含まれている。金額の多寡は別として、こうした人類の宝とも云うべき優れた音楽ホールの改修のために、日本の経団連が援助の手をさしのべたのは大変嬉しいことであった。
5年にわたる困難な改修工事を無事に終了した1988年の4月11日に、記念のガラ・コンサートが盛大に催された。それはコンセルトヘボウの創立百年に当たる日であった。(著者も招かれて出席した) この新しい門出にあたって選ばれた曲目は、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」であった。コンセルトヘボウ管弦楽団の二代目指揮者であったメンゲルベルグとマーラーが親友の間柄であったこともあってマーラーの作品がここで数多く演奏された。マーラー自身もほぼ毎年このオーケストラを指揮して自作の作品を演奏したのである。
その迫力ある演奏を聴いた著者は、優れたホールが、まさにそれ自体楽器であると痛感したと書いています。これは自身の体験からも同感できるもので、ふむふむと納得して読み進めました。
次のフルトヴェングラーの章はこの時代の一般の風潮で現在とは評価の基準がちよっと違う部分もあり、必ずしも小生としては同感できないのですが、次のように記しています。
◼️信念を貫いたフルトヴェングラー
ドイツでは、ナチス政権が徹底したユダヤ人排撃政策をとり、国内のユダヤ人を残らず追放した。そのために、ワルターやクライバー、クレンペラーなどのユダヤ系指揮者は淋しく祖国を去っていった。この時リヒヤルト・シュトラウスのようにナチに対して迎合的な態度をとった人もいたが、フルトヴェングラーは純粋に芸術家としての立場からナチの理不尽な政策に対して、その立場を守ったのである。「ヒンデミット事件」という有名な事件がある。ヒンデミットはユダヤ系の音楽家たちと親しく交わっていたため、ナチから嫌われていた。その彼の作品交響曲「画家マチス」をフルトヴェングラーがベルリン・フィルの定期演奏会でとりあげたことに、ナチが横やりを入れてきた。それに対し、彼は、新聞で弁護し、ドイツ音楽局総裁とか国立オペラ劇場の指揮者を辞任してまった。ウイーン生まれの名指揮者エーリッヒ・クライバーもユダヤの血が流れていたが、フルトヴェングラーが身をもって彼をかばっていた。そこへヒンデミット事件が起きた。クライバーは「政治的理由でフルトヴェングラーを止めさせるなら、私はこれ以上とどまることができないと」といって同じくオペラ劇場の指揮者を止めてしまったのである。 そういうフルトヴェングラーの気骨ある行動はベルリン市民の間に、大きな反響を巻き起こした。事件の数ヶ月後に開かれたベルリンフィルの慈善演奏会は、数時間でチケットが売り切れた。そしてエグモント序曲などの演奏が終わった時に、聴衆は感激し、拍手が鳴りやまなかったという。
トスカニーニは、フルトヴェングラーをナチ寄りとして嫌っていた、という話はよく知られています。そのトスカニーニについても取り上げていて、新年の揺るがないといかニーにも賞賛していますし、現在のオーケストラの基本配置を作り上げたストコフスキーについても「怪物ストコフスキー」として1章を割いています。
このほか、ポーランドの大ピアニストにして、のち初代首相に選ばれたパデレフスキーと三浦環のエピソード、マーラーの「大地の歌」と中国の詩集「中国の笛」にまつわる話など数多く興味深い話が描かれています。こういうエピソードは一昔前は、武川寛海氏の専売特許だったのですが、それを志鳥氏が引き継いでいたんですなぁ。ちなみにこの武川寛海氏はゴダイゴのタケカワユキヒデ氏のお父さんです。
志鳥栄八郎氏はたくさんの著作を残していますが、この一冊は改題改定されても出版されたもので、エッセイとしてはなかなか読み応えがあります。