秋深まる中山道と栗きんとん味わいウオーキング 2 | geezenstacの森

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秋深まる中山道と

栗きんとん味わいウオーキング 2

 

 中山道は点としては馬籠や妻籠は訪れたことはありますが、意識して歩いたのは今回が多分初めてです。

 

 
 昨日の続きです。桜百選とある通り、ここは100種類の桜が植えられ、4月上旬から5月上旬には多種多様な桜の花が咲き乱れます。
 

 
 ここは中山道の中にありますから簡単に車ではいけません。桜の名所といえども、ハイキングプラス花見という覚悟で行かなければいけませんから、ちよっとした穴場なのかもしれません。
 
 
 今回はこの西行の森にテントを立てて栗きんとんが販売されていました。ここは休憩所(屋根付)も設けられており、トイレも完備の珍しい施設です。その脇には、槇ヶ根の一里塚があります。
 
これが西側の塚
東側一里塚
 
 一里塚は、街道の両側に一対になって一里ごとに築かれたものです。現存する一里塚が数が少なく、ほぼ完全な姿で残されているものは全国的にもまれです。 槙ヶ根一里塚はほとんど完全な形のまま残っており、岐阜県の史跡に指定されています。
 
 
松尾芭蕉句碑
西行の わらじもかかれ 松の露
 
西行の歌碑
待たれつる 入相のかねの音す也
       あすもやあらば きかむとす覧
 
 
 西行はこの地で亡くなり、ここに葬られたという伝説があります。 塚には高さ1.4mの五輪塔が建っており、西行の墓標と伝えられています。
 
 
 
 今回は逆行していますが、中山道大井宿から大湫宿は3里半、その間の十三峠は「十三峠に・おまけが七ツ」と言われ、起伏が激しく、難所とされていました。
 
 
 間も無く恵那市街に入ります。この辺りは並行して中央高速が右側を走っています。
 
 
 
 
硯水という池があり、かつて歌人西行がこの水で墨をすったという伝説があります。
 

 
 恵那(江戸時代は大井)市街に入ります。道はどんつきになり左に折れています。枡形ですな。
 
 
 前方の橋のかかる川には鯉が優雅に泳いでいました。
 
 
 枡形の右手にある「中野観音堂」です。
 
 こちらは中野村庄屋の家です。当時、大湫宿の助郷村であった野井村が、和宮が通行するということで、強制的に、まかない役につかせられたことに不満を持った村の百姓代が、和宮通行後に、ここに滞在していた岩村藩代官に斬りつけた事件が発生しました。この事件の後、岩村藩と野井村との間で裁判があったのですが、最終的には野井村の勝訴となり、代官は罷免されています。
 
 
 旧街道沿いの家には、ちょっと見にくいですが門柱の右隅にぼんぼりが掲げられています。
 
 
 こういう暖簾が掲げられている場所もあります。
 
 
 
 中山道は67宿あり、東海道より多い宿がありました。距離は東海道よりも40 kmほど長く、宿場も16宿多くなっています。宿場数が密であったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通り、降雪時に通行が困難であったために、1日の歩行距離は短くなり限界があったからだと考えられています。
 
 
 さて、ようやくゴールの恵那駅が見えてきました。
 
 この中山道シリーズ3回続きます。