レコード芸術 1972年6月号 その3 | geezenstacの森

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レコード芸術 1972年6月号 その3

 

 

 写真の人物はご存知でしょうか。この年の4月3日に亡くなっている作曲家です。下の曲の作曲者です。

 

 

 今の若い人ならきっと耳にしたことがあるはずです。「アメリカ横断ウルトラクイズ」で毎回登場していた曲ですからねぇ。でも、一般にはガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲者としても知られているファーディ・グローフェです。この当時はリアルタイムで現代曲を聴いていたわけですなぁ。でも、作曲者としての代表曲といえば「グランド・キャニオン」でしょうなぁ。むしろ、これ一曲で知られているといってもいいでしょう。しかし、ポール・ホワイトマン楽団を経てジュリアード音楽院でも教えていたほどの人で、多くの作品を残しています。以下のような作品があります。

ナイアガラ瀑布組曲

ブロードウェイの夜

鋼鉄の交響曲

ピアノ協奏曲ニ短調

デス・ヴァレー組曲

大西洋横断

航空組曲

万国博覧会組曲

彼の自作自演のレコードが手持ちにあったはずですから、別の機会に取り上げてみます。

 

 

 この号ではこちらのアーティストも大々的に取り上げています。よほどの現代音楽が好きな人ならわかるかもしれません。先に取り上げたミシェル・ベロフと同時期にデビューしています。デビューはデッカで、「リスト/メシアン選集」で1969年にデビューしています。その後も、デーリアスとドビュッシーのピアノ作品を録音していて、やや地味な選曲でした。ようやく、ドビュッシーの前奏曲集が録音され、この年国内デビューしています。ピアニスト、ジャン・ルドルフ・カールスの登場となるわけです。しかし、小生は全く知りませんでした。この当時、デッカはこの当時、パスカル・ロジェ、ラドゥ・ルプーも抱えていて駒は充分揃っていました。

 

 しかし、インド出身のこのピアニスト、フランスで腕を磨きながらも1977年カトリックに改宗し、さらに1986年には演奏活動から身を引き聖職者になってしまいました。どうりで知らないはずですわなぁ。

 

 この号で一番懐かしかったのはCBSソニーの広告です。ソニークラシック販促の起爆剤ともなった「ベスト・クラシック100選」の最初の企画です。この年から始まったんですなぁ。

 

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 LP一枚に50曲を詰め込んで紹介しています。つまりは1曲1分というサンプラーレコードですが、いろいろな曲を聴きたい貧乏な学生には嬉しい企画でした。ただし有料サンプラーです。1枚500円とうまいところを突いてきます。一応郵送・梱包手数料という名目です。もちろん小生も飛びつきました。こんなレコードでした。左が第1集、右が第2集です。
 
 
 ジャケット写真がインパクトがあり、この当時のソニーのジャケットはほとんど記憶に残っています。
 
 
レーベルはただ単に曲が羅列してあるだけです。友人との間では曲名当てイントロクイズみたいにして、よく遊んだものです。
 
 
 東芝がこの4月から5月にかけてセラフィムシリーズを20枚追加で発売し、都合70枚とシリーズを拡充しました。この追加文は触手が動くものが多く、シルヴェストリやホーレンシュタインのマーラー、ジュリーニのフランク、ストコフスキー、マゼールなど大量に購入しています。
 
 
 こちらは夏のボーナスシーズンを狙った2枚組3,000円のシリーズです。クレンペラーが大量に投入されています。
 
 
 コロムビアからこんな2枚組3,000円のジェミニ・シリーズが出ていたとは知りませんでした。
 
 
 パイヤールはエラートのドル箱スターでした。一番上の前期古典派の協奏曲集は新譜で推薦盤になっています。その下の2枚はエラーと1000シリーズのものをさりげなく紹介しています。
 
 
 また、スメタナの告知でもヒストリカル1000シリーズのシューベルトとドヴォルザークのレコードをベストセラーとして取り上げています。1000円盤を別扱いにしない良い広告です。
 
 
 それは地味ながらフィリップスの広告にも取り入れられていて、ひっそりと中段に2枚の「クレモナ」シリーズのレコードが加えられています。本当に地味で当時は見逃していました。
 
 
 地味さはこちらにも表れていて、マリナーのブランデンブルク協奏曲全曲や交響曲の誕生シリーズなど魅力的な新譜が並んでいますが、ほとんどレコード店の売り場では見たことがありません。日本ビクターの一部門でしかなかったので冷遇されていたんでしょうかねぇ。
 
 
 この年、4月13日から17日まで第3回オーディオフェアが開催されています。4チャンネルで盛り上がっていた時だけにオーディオ各社力が入っていました。
 
 さて、最後はこんな記事もレコ芸で扱われていました。なんとジョン・レノンの新しいアルバムの録音セッションに立ち会った秋山邦晴氏のレポートが記事になっていました。
 
 
 グラビアでの5ページにもわたるもので、タイトルにはプラスティック・オノバンドの文字が踊っていますが、レコーディングはそれとは別の、新しい「エレファンツ・メモリー」のプロデュースを行なっています。
 
 1972年はジョン・レノンがニューヨークへ移住し政治的活動も積極化した時期で、バック・バンドとしてあの「ワン・トゥ・ワン・コンサート」にも出演していました。場所はブロードウェイにほど近い西44丁目のレコード・プラント・スタジオです。この時、ジョン・レノンは「サムタイム・イン・ニューヨーク」のリリース直前で、ちょうどジャケットの見本ズリが出来上がったところでした。多分最後のページの右上の毛沢東とニクソンの裸のコラージュ写真は見覚えがあるのではないでしょうか。このアルバムらも、エレファンツ・メモリーが参加しています。
 
 
 レコ芸の懐の深さを感じる6月号でした。