レコード芸術 1972年6月号 その2
この年は、レコード業界に革命が起こっていました。レコ芸のこの1972年6月号にはそのことについては一言も触れていません。10年ぶりに来日した「スメタナ四重奏団」はコンサートのスケジュールの合間にコロムビアのために4月24日から26日の日程で東京の青山ホールでモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番と第17番の録音をしています。
来日当時の記者会見でスメタナのレパートリーが80曲ほどしかないことについて、少なすぎるのではないかと質問が飛んだらしいのですが、彼らは曲を自分たちのものにするのに長い年月を要することを説明しています。
スメタナ四重奏団はチェコの楽団です。チェコはアーティストを西欧に供給する国でした。国家として音楽のアーティストを育て、海外に供給し外貨を稼ぐというスタイルです。そのスメタナ四重奏団は、特に技術が高いだけではなく、1曲仕上げるのに3年間毎日練習した上で録音していました。
彼らは新しい曲の録音に際して、1年目に人里離れた別荘で練習し、1年目の終わりごろからチェコの地方都市での演奏会の演目に加えます。2年目はチェコの首都プラハ、3年目になると世界中を回るリサイタルでも演奏するようになります。そして4年目になってやっとレコードに収録するという気の長いスタイルで演奏を育てていたのです。今回の収録もそのスタイルで当初は録音スケジュールにもう1日要求していました。それが出来ないとなると収録時間を前倒しして朝の9時からセッションを開始したと言います。
メトロノームのことが記事になっていますが、彼らのテンポ設定にはそういうものまで持ち出して、表情付け、アゴーギク、ボーイングの問題と議論したそうです。
なぉ、別のところで耳にしたことですが、この録音は日本コロムビアの録音エンジニアの穴澤 健明氏も大きく関わっていたようで、「技量の高い演奏でないと、デジタル録音は活かされない」と考え、世界初の商用デジタル録音の演奏者として、他の誰でもなく、スメタナ四重奏団に演奏してもらいたかったというのです。
そう、この録音は世界初のデジタルPCM録音された商業録音のセッションだったのです。この年の秋にレコードとして発売されましたが、ベストセラーとなりその年のレコードアカデミーを受賞しています。この録音については下の記事で取り上げています。
この年はコロムビア以外でも海外のアーティストの来日を狙って録音が活発に行われています。この号だけでもビクターがドイツ・バッハ・ゾリステンを使ってバッハの「音楽の捧げ物」を、東芝がオッコ・カム/日本フィル、舘野泉でグリークのピアノ協奏曲とラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲を録音しています。
ビクターのプロデューサーは井坂紘氏で、こちらは4チャンネル録音で収録されています。時代ですなぁ。そんなこともあり、初出はこんなジャケットでした。
オッコ・カムが東芝にこんな録音を残していたとはこの記事を読むまで知りませんでした。下が初出時のLPです。