レコード芸術 1972年6月号 その1 | geezenstacの森

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レコード芸術 1972年6月号

その1

 

 この号の表紙にピックアップされたのは「クリスティーヌ・ワレフスカ」のデビュー盤です。ところが、フィリップスはこのレコードを発売する気が無かったのか広告ページでは全く取り上げていません。

 

 

 クリスティーヌ・ワレフスカはロスアンジェルス生まれ、父からチェロの手ほどきを受け、13歳でピアディゴルスキーに師事し、アメリカ楽壇にデビューしています。16歳でフランスへ留学し、パリ音楽院でモーリス・マレシャルに師事。アメリカ人発、チェロと室内楽を1等で卒業後、ヨーロッパ中で演奏家活動を行いました。


 レコーディングデビューは、21歳の時にエリアフ・インバルの指揮でシューマンの協奏曲、ブロッホの『シェロモ』とブルッフの『コル・ニドライ』をフィリップス・レーベルからリリースしています。このレコードなんですな。

 

 

 こちらは表紙裏の広告です。テイチクなんですが、「オフランド・ミュージカル」シリーズの告知です。1枚1,500円のシリーズですが、こんなレコードが発売されていたとは知りませんでした。アーティストからしてオランダのレーベルのようですが、調べてもわかりませんでした。

 

 

 グラビアのトップはこの年に来日したネヴィル・マリナー/アカデミー室内管のスナップショットです。この時代マリナーは、指揮者というよりは第1ヴァイオリンのトップで自らヴァイオリンを弾きながらの演奏でした。

 

 

 

 

 

 「四季」のレコードの大ヒットで、当時のキングレコードの社長からヒット記念の盾が贈られました。

 

 

 「方丈」の額のかかっているのは「龍安寺」です。マリナー夫妻が石庭を訪れた時のスナップ

 

 

  こちらはメンバーと金閣寺の庭を散策する様子です。

 

 この号ではインタビューも掲載されています。インタヴュアーは西村弘治しです。

 

 

 この記事の中でマリナーはアカデミーとの録音について詳しく述べています。ブランデンブルク協奏曲ではピッコロヴァイオリンを使ったりトランペットの代わりにホルンを使ったり、当時の時代背景を時のサーストン・ダートの指示のもとその成果を実践しています。また、アカデミーは単なる室内オーケストラではなく。曲に応じて編成をフレキシブルに変化させる方針を述べています。それは確かに実践されていくことになりましたねぇ。

 

 

 ステージではマリナーは第1ヴァイオリンの席で全体をコントロールしているのがわかります。

 

 

 ハイティンクはこの時マーラーの交響曲全集を完成させています。話題にはなりませんでしたが、ゆかりのコンセルトヘボウの全集はいい出来でした。

 

 

 ヘフリガーは東芝にシューマンの「詩人の恋人」とシューベルトの「歌曲小品集」を録音しています。ピアノ伴奏は当時八面六臂の活躍ょしていた小林道夫氏です。

 

 

 ヘルムート・ヴィンシャーマンはこの年3-4月にかけて来日コンサートをしています。この来日で置き土産としてビクターにバッハの「音楽の捧げ物」を録音しています。上はその時のもので日本茶で一息ついています。この湯のみ、我が家にもありましたので懐かしいですなぁ。

 

 

 この当時はまだテレフンケンレコード(のちのテルデック)でしたが、レオンハルトを起用してバッハのカンタータ全集をスタートさせています。

 

 

 この年、秋に来日するということでミシェル・ベロフがグラビアに登場しています。この時、小沢/パリ管弦楽団のサポートでストラヴィンスキーのピアノ協奏曲が録音済みでした。ベロフは1967年のメシアン・コンクールでゆうショゥしていることからの選曲でしょう。

 

さて、この号でポップスからはディオンヌ・ワーウィックが取り上げられています。

 

 

 「黒い真珠」ことディオンヌ・ワーウィックはこの年初来日しています。

 

 

 フレンチ・ポップスは当時一つの流れでした。ミシゥル・ポルナレフやジョー・ダッサン、ミシェル・サルドゥなどとともにEMIはこのジュリアン・クレールを売り出そうとしていました。本格的シャンソン歌手でしょうなぁ。今でも活躍しています。

 

 

 ロックでは、「タンジェリン・ドリーム」が取り上げられています。ピンク・フロイドの対抗馬としてのドイツの三人組です。プログレロックは時代の流れだったのでしょう。こういうアーティストがレコ芸に取り上げられています。ポップス系のざっとでクラシックを取り上げることは皆無ですが、レコ芸はクラシック雑誌でありながら時代の潮流とあらばポップスのアーティストもちゃんと取り上げていました。小生がクラシックバカにならなかったのはこういうところにも一因があるのでしょうなぁ。