レコード芸術 1967年12月号
その3
特集は「バッハの音楽」と謳われていますが、多分こちらの方がこの号の目玉ではなかったのでしょうか。一応この記事も特集の一部に組み込まれています。
この特集で少年時代のフルトヴェングラーの姿を初めて確認しました。彼は生涯犬好きで、この写真も愛犬とともに写っています。右下は妻のエリザベートと、その左は息子のアンドレアスとスナップです。
上の写真は競馬場でレースを観戦するフルトヴェングラーとサインに応じるショットです。
上は作曲に勤しむフルトヴェングラー、下右は「さすらう若人の歌」を録音したフィッシャー=ディースカウとその下は若き日のサンソン・フランソワとのショット、日ぢリハウォルフガング・ワーグナーと握手をするフルトヴェングラーです。
上はオペラの終演後の聴衆の拍手に答えるフルトヴェングラー、左はウィーン国立歌劇場でメンバ゜ーと打ち合わせをするスナップで中央はボスコフスキーです。右下は臨終したフルトヴェングラーのデス・マスクです。これらの写真は1967年の11月3日から11月30日まで銀座のヤマハで公開された写真展の一部です。この時は200点あまりが公開されました。後に音楽乃友社が発行した没後30周年のムック「時空を超えた不滅の名指揮者・フルトヴェングラー」にも収録されました。
この号でのヤマハの広告、名古屋のヤマハではナベサダのコンサートの告知とレコード・ボーナスセールの案内が、その下が銀座ヤマハの「フルトヴェングラー未公開写真展」とフルトヴェングラーのソ連盤でのコンサートの告知がなされています。当時、ソ連盤は国外に輸出していませんでしたからさぞかし貴重なコンサートだつたのではないでしょうか。
これが12月号の目次の一部です。タイトルだけ見ると興味深そうな内容ですが、このころの特集は文字の羅列で、バッハの作品とレコードなんて、文章の中に埋もれてしまって読みにくいったりゃあらしない内容に終わっています。その中で、バッハの遺跡を訪ねては写真で構成されていて印象に残ります。
大バッハは右上その左はバッハの父親のヨハン・アンブロジウス、下段は右からフリーでマン、エマニュエル、そしてクリスチャンです。
右上のオルガンは最初にオルガニストになったボニファチウス教会のバッハが使ったもの。左は若いバッハが聞きにいったブクステフーデの活躍したマリエン教会のオルガン。下の右はアルンシュタットのバッハハウス。下左は宮廷礼拝堂で指揮をする若いバッハを描いた絵。
上はケーテン時代の活躍の場となったレオポルド城、下はケーテン時代のトーマス教会の正面。
「音楽の捧げ物」で知られるフレードリッヒ大王の居城「サンスーン宮」、下はそこで即興演奏を披露したフォルテ・ピアノと「大王のフルート」。左はバッハの墓のプレート。
この月のカラー広告で目立ったのはミュンシュの「カルメン・アルルの女」でフェイズ4の録音です。晩年はミンシュ=パリ管というイメージだったので空かせデッカにもこういう録音を残していたんですなぁ。