レコード芸術 1967年12月号
その2
この1967年12月号は派手にはうたっていませんが、この特集記事の「バッハの音楽」のタイトルの上に創刊200号記念の文字が入っています。
レコード芸術は昭和27年3月号が創刊でした。下がその創刊号の表紙です。表紙を飾っていたのはトスカニーニなんですなぁ。フルトヴェングラーでもカラヤンでもありません。奇しくもRCAの大スターがこの200号でも表紙を飾っていたんですなぁ。
これは2017年5月号の付録としてついていた復刻版です。この2017年5月号は創刊800号でもありました。創刊号にはまだ野村あらえびす氏も健在で、堀内敬三、野村光一、村田武雄氏と「音楽の在り方について」という座談会で対談しています。そして、月評を担当していたのは種はこの村田武雄氏でした。この創刊号で唯一交響曲部門で推薦盤になっているのがトスカニーニの「悲愴」です。まあ、そんなこともあってトスカニーニが選ばれたのかなぁと推察してしまいます。
このころになるとようやく日本のアーティストが海外で活躍するニュースが増えてきています。この号ではトロント響の音楽監督になった小澤征爾がグラビアに登場してきます。
また、NHK交響楽団のコンマスだったヴァイオリニストの海野義雄氏も海外での活躍の場を広げていました。
グールドとチッコリーニのグラビアが並んで掲載されています。グールドは1982年に50歳で、チッコリーニは2015年に89歳で亡くなっています。
突然ショスタコーヴィッチとキリル・コンドラシンの2ショットの写真が掲載されていました。コンドラシンはショスタコーヴィッチの交響曲第13番から初演を担当しています。小生もその初演時のライプ録音を所有していますが、この録音は物議を醸したもので、初演後ソビエト当局によって歌詞の改変を余儀なくされていました。
レコード芸術は当時は話題のアーティストはジャズ、ポップスの垣根を超えて注目アーティストを取り上げています。上はラヴィ・シャンカルですが、このシタール奏者を取り上げています。小生も多分この記事に触発されて以後ラヴィ・シャンカルに注目し、記事にもしています。
注目の新人として、イツァーク・パールマンがグラビアに初登場しています。ただ、この時の表記は「イサク・パールマン」と表記されています。時代を感じますなぁ。
多分ほとんどの人が知らないでしょう。この年バッハのクラヴィーア演奏会のために来日していたアマデウス・ウーパージンケ(amadeus webersinke)が日本フィルの定期に登場した時のスナップです。指揮は渡邉暁雄です。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を弾いています。
その1でも取り上げましたが、この年サヴァリッシュはウィーン響とともに来日ています。その時のコンサートのスナップです。
上は厚生年金会館でのリハーサル、下は羽田空港での歓迎の様子のショットです。