糸車
著者:宇江佐真理
出版:集英社 集英社文庫
深川の長屋で独り暮らしのお絹。三年前までは、松前藩家老の妻だったが、夫を殺され息子勇馬は行方不明。小間物の行商をして、勇馬を探し続けている。商いを通じて、同心の持田、茶酌娘などと親交を深めるうち、様々な事件に巻き込まれ、それぞれの悩みに共感し奔走するが…。船宿の不良娘と質屋のどら息子の逃避行、茶酌娘の縁談、そしてお絹に芽生えた静かな愛。下町の人情が胸に染みる時代小説。---データベース---
宇江佐真理さんの作品はすべて読破したと思っていましたが、この一冊が残っていました。「小説スバル」に連載されていたんですなぁ。その「小説すばる」の2011年6月、9月、12月、2012年3月、6月、9月号に掲載されたものの文庫化されたものです。単行本は2013年2月に発売されていたようですが見逃していました。宇江佐さんは2015年11月に死去されていて、この文庫本は2016年に1月に出ていますから追悼版みたいな形だつたのでしょうか。
小生は宇江佐さんの第1作になる「髪結い伊三次捕物余話」の第1作、「幻の声」から愛読していて、このブログにも単独の書庫を置いている作家は宇江佐さんだけです。いずれ、書庫を整理してTOPページから検索できるようにしたいと思っています。
宇江佐真理さんは北海道は函館出身の作家で、江戸物をたくさん書いていますが、決して地元から離れませんでした。そういう意味では強度に根ざした作家と言えるでしょう。特に今のようにネットが発達した時代なら、それでもなんとかなるのでしょうが、最初から函館に根を下ろしていました。原稿はテーブルの片隅で書いといたとエッセイには書いています。庶民派の作家さんでした。
そして、この連作も宇江佐さんの故郷である松前藩にまつわるストーリーになっています。松前藩は、北海道、江戸時代は蝦夷と呼ばれた渡島半島南端の津軽海峡の対岸あたりに松前城を構えた蝦夷唯一の藩でした。そんな松前藩が一度だけ領知替えのため、陸奥国伊達郡柳川に転封になった時代があります。文化4年(1807)のことで、この物語はその前後が舞台になっています。時代的には8代藩主松前道広から9代藩主松前章広に変わった頃で、時の家老蠣崎波響が活躍した時代と重なります。
余談になりますが、この蠣崎波響は画家でもあり、1791年に上洛した時は彼の作品が別に読み進めている「禁裏付雅帖」シリーズに登場する光格天皇の展覧に供されています。また、この柳川という土地は養蚕業が盛んなところですが、ここは尾張徳川家の所有地でもあり、一時期は徳川宗春も藩主の地位にありました。
まあ、そういう意味では、この小説に登場する日野市次郎なる家老は創作の人物であることが知れます。その日野市次郎が藩内の揉め事で暗殺され、家老の奥方だったお絹は、今は江戸で小間物の行商で生計を立てているというところから物語はスタートします。本来はこういう設定はあり得ません。松前藩のような小藩であっても家老といえばそれなりの格式があろうもの。それがいきなり、裏店に住んで行商!との設定にはビックリしますが、次第にそんな細かいところは、どうでも良いじゃないの、という気になってくるから、不思議です。
ただ、宇江佐さんはこういうあり得ない設定話時々小説に持ち込みます。初期に読んだ「「あやめ横丁の人々」もそんな設定でした。でも、こういうあり得ない設定の中で市井の人々の暮らしぶりを巧みに紡いでいきますからその世界に浸れるんですなぁ。
章立ては以下のようになっています。
第1章 切り貼りの月
第2章 青梅雨
第3章 釣り忍
第4章 疑惑
第5章 秋明菊
第6章 糸車
最後に糸車が置かれていますが、これは蚕の糸を紡ぐ糸車のことです。
さて、夫の日野市次郎は亡くなり、一緒にいた息子は行方が分からなくなっています。お絹はその息子を探すことを決心し、江戸に残ることになります。息子の失踪にはどうも何か隠された裏が、ありそうと考えたのです。
物語は小間物の客や茶店の娘、絹に心を寄せる奉行所同心の持田など、人情あふれる江戸の街が鮮やかに、また住む人々の暮らしが、こまやかに描かれています。
時代は江戸時代ですが、そこに綾なす茶屋の女・お君、同心・持田、船宿の娘・おいね、そして、お絹など登場人物の生き方を示して、人は人生をどう生きるか、という大きなテーマが潜んでいるのがわかります。
物語は決してハッピーエンドの形にはなっていません。宇江佐さんは乳癌で亡くなっていますが、告白した時にはすでに全身に癌が転移していたと言います。同世代の作家さんの突然の報告に当時はびっくりしたものですが、慎ましき幸せなストーリーは髪結い伊三次シリーズに委ね、それ以外では人生必ずしもいいことだらけではないよという形をこの小説では伝えたかったのかもしれません。