ピエール・ポルト/哀しみのテス
曲目/
1.哀しみのテス
2.パラダイス・ラバー
3.テスの喜び
4.恋は空に舞い
5.ファンタジーとフーガ
6.夢のメロディー
7.灰色の道
8.ファンタジー・バロック
9.乙女の歌
10.哀しみのテス[ピアノ・ソロ]
演奏/ピエール・ポルト・オーケストラ
日本ビクター VIP-28011
ピエール・ポルトを知っている世代はGメン'75とか「水曜ロードショー」を見ていた世代ではないでしょうか。まあ、イージーリスニングの世代で言えば第3世代に属するグループで、ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルの次の代になります。1944年生まれたとうことでは、フランク・ミルズと同世代なんでしょう。もう少し後ではリチャード・クレイダーマンがこのグループにいます。この第3世代に属するアーティストはともにピアノをメインにして活躍しています。
このアルバムは日本でのデビュー2作目で1981年に発売されています。このアルバムの中では「悲しみのテス」がヒットしています。
ピエール・ポルトは1944年10月、フランス・マルセイユに生まれています。音楽好きの祖母の影響もあり、ショパンやヨハン・シュトラウスを聴いて育ったようです。7歳からマルセイユとツーロンの2つの音楽院に通い、ピアノも習い始めます。マルセイユから15キロ離れたエクサン・プロヴァンスの町では夏にクラシックの音楽祭が開催されますが、それ話聴くのか楽しみだったと言います。と同時にポピュラー音楽にも関心を寄せ、12歳で友人とバンドを組み、オリジナル曲を演奏したりもしています。16歳で、2つの音楽院を卒業しますが、この頃ダリウス・ミヨーに出会い、本格的に音楽話勉強するならパリへ行くべきとの助言を受け、17歳でパリ音楽院に入学します。
大都会で戸惑いながらも、同郷のマリー・クリスティーヌと出会い、結婚します。パリ音楽院は作曲科を首席で卒業し、同時にレコード会社と契約し、アーティスト、作編曲家として活動を開始します。70年当時はほとんどレイモン・ルフェーブルが一人で手がけていた音楽テレビ番組を次々と手がけるようになり、また映画音楽にも手を染め、「華麗な関係」、「パリの灯は遠く」などの音楽も担当しています。
そして、晴れて1976年に自らのポップスオーケストラを結成し、アルバムを発表するようになります。フランスでのこれらの活躍で日本でも知られるようになり、TBSのドラマ「Gメン'75」の307、308話のオープニングに使われました。どうもドラマのタイトルが「新・Gメンの罠はヌード金髪死体」というものだったので採用されたようです。
さて、日本でのデビューは1980年「夢見る国への旅」でデビューしています。その後、国内盤としては5作品がレコードでリリスされました。
夢見る国への旅 VIP7292 1980
哀しみのテス VIP-28011
愛はルフラン VIP-28020
妖精たちの午後 VIP-28050
サラの祈り VIP-28081
そして、このアルバムの「悲しみのテス」がロマン・ポランスキー監督ナスターシャ・キンスキー珠運の「悲しみのテス」のイメージソングとして採用されヒットして、日本での人気に火がつくことになり、1982年に初来日を果たしています。一般には、日本テレビの「金曜ロードショー」のオープニングで使われた「フライデー・ナイト・ファンタジー」の方が知られているでしょうか。
さて、本題のこのアルバムですが、ポルトの本来の持ち味が生かされています。本国フランスでは、その絵画的なイメージを持つ音楽性ゆえに、「音楽の印象は」とも呼ばれています。まあ、地震は「ネオ・クラシック」と読んでいるようですけどね。そんなことで、このアルバムにはクラシック調の曲が2曲含まれています。そのうちの一つが「ファンタジー・バロック」です。
A面の4曲目には「恋はそら二枚」が収録されていますが、最初聞いた時はフランシス・レイの「プレリュード」とそっくりなのに驚きました。でも、この曲の方が先に出来ているんです。
作曲家でもある彼は様々な楽器をサウンドの中に取り入れています。「パラダイス・ラバー」もそんな曲です。
さらに、「灰色の道」です。
このアルバムの最後を飾るのは彼自身のピアノソロでこの「悲しみのテス」が演奏されています。
まあ、今ではイージー・リスニングは死語ですが、こういう音楽が残っているのは嬉しい限りです。多分、CMやドキュメンタリーのバックにこういう音楽がさりげなく使われているのでどこかで耳にすると思います。