レコード芸術 1971年3月号 1 | geezenstacの森

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バック・トゥ・1971

レコード芸術1971年3月号

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 2月号を取り上げてからずいぶん間が空いてしまいましたが、3月号を取り上げることにします。

 

 

 この頃アンドレプレヴィンはRCA、デッカ、EMIと3大レーベルに盛んに録音を行なっていました。先行したのはRCAで、この1971年4月に来日したプレヴィン/ロンドン響のレコードをトップに広告を打っています。来日記念盤として一挙に発売されたのは、

・R,シュトラウス名演集

・ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

・ラフマニノフ/交響曲第2番

・ボーン=ウィリアムス/海の交響曲です。

 

 片やデッカからはチョン・キョンファと組んだチャイコフスキーとシベリウスの協奏曲が発売になっています。ただEMIは漸く1970年末にプレヴィンと契約を交わし、1971年に4枚のアルバムをこのコンビでレコーディングしたのを皮切りに、数々の伝説的な名盤を制作していくことになります。ですからこの時点ではまだ、レコードは発売されていません。ちょっと不運ですな。

 

 

 この1971年にはウィリー・ボスコフスキーがウィーン・ヨハンシュトラウス管弦楽団を率いて年初に来日し、日本でニューイャー・コンサートを各地で演奏旅行しています。

 

 

 また、NHKの「世界の音楽」にも出演し、その典雅なワルツを披露しました。

 

 

 

 当時ショパンコンクールに2位入賞した内田光子がグラビアページを飾っています。若いですなぁ。

 

 

 若いといえば、チョン・キョン・ファがプレヴィン/ロンドン響のサポートを得てレコードデビューをしています。彼女は1970年5月13日のロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの定期でヨーロッパデビューをします。コンサート翌朝のロンドンの新聞はジャネット・ヌヴー以来の最高の女流ヴァィオリニストと褒め称え、契約の申込みが殺到したということです。この時、デッカがすかさず動き、アジア演奏旅行中の彼女をロンドンに呼び戻し、このレコーディングを行なったということです。

 

 

 さて、こちらはフレッシュ・トリオのバレンボイム、デュプレ、そしてピンカス・ズーカーマンです。ロンドンでは1968年以来毎年8月に15日間「サウスバンク・サマー・ミュージック」という音楽祭が開催されているということです。当時はバレンボイムがプロデューサーであり、指揮者であり、ソリストであり、フィッシャー=ディースカウの伴走者でもあったそうで、1970年8月にはピンカス・ズーカーマンを招いてトリオ演奏を披露しています。

 

 録音はデュ・プレが指に違和感を覚える2年前の1969年12月と1970年1月、まさに彼女の全盛時のアビー・ロード・スタジオでの録音といえます。この時は、ベートーヴェンの

・ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調 op.97『大公』
・ 14の変奏曲 変ホ長調 op.44
・ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO38
が収録されています。3枚目の写真の黒人はプロデューサーのスヴィ・ライ・グラップ氏です。

 

 そうそう、ズーカーマンとチョン・キョン・ファは同じジュリアードの同期生で、ともにガラミアンの教え子です。そして、1967年のニューヨークで開催されたレーヴェントリット国際コンクールで同率1位の入賞でした。二人の1位を出したのは同コンクールで初めてのことでした。この時ズッカーマン18歳、キョン・ファは19歳でした。