「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972― | geezenstacの森

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「写真の都」物語 

―名古屋写真運動史:1911-1972―

 

 

 今、名古屋市美術館で開催されている企画展「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」に出かけてみました。

 

 タイトルに「写真の都」とあったのも興味を引いた要因でもありました。なんとなれば、幕末の尾張藩主、徳川慶勝が写真愛好家ということもあったのでしょうか、それがこのタイトルに結びついているのかな。という期待があったのですが、さすが殿様と庶民の接点はなかったかのようで、幕末明治維新は蚊帳の外で、この展示はいきなり明治末期からスタートしていて、ちょっとがっかりしました。

 

 

 それでも、この展示は明治末期から愛友写真倶楽部や東松照明を生み、中部学生写真連盟にはじまる学生写真運動が盛んで、全国でも屈指の「写真都市」であった名古屋を浮き彫りにしています。展示は以下のサブタイトルで6つのセクションから成り立っていました。

 

Ⅰ. 写真芸術のはじめ-日高長太郎と〈愛友写真倶楽部〉
Ⅱ. モダン都市の位相-「新興写真」の台頭と実験
Ⅲ . シュルレアリスムか、アブストラクトか-「前衛写真」の興隆と分裂
Ⅳ. “ 客観と主観の交錯”-戦後のリアリズムと主観主義写真の対抗
Ⅴ. 東松照明登場
Ⅵ. 〈中部学生写真連盟〉-集団と個人、写真を巡る青春の摸索

 

 近代名古屋の写真表現は、1920年代に日本のピクトリアリズム(絵画主義的写真)をけん引した〈愛友写真倶楽部〉に始まります。伊良湖岬や日本アルプス等、海と山に近く、撮影地に恵まれた当地の写真家たちは、風景写真の新たな境地を開拓しました。

当初、“旦那衆”の道楽として興った写真の趣味は、やがて広くアマチュアに拡がり、1930年代半ばには名古屋独自のアマチュア向け月刊写真雑誌が創刊され、同誌を背景として「前衛写真」と呼ばれた名古屋発信の表現が全国を席巻しました。

 

 

 

 戦後、シュルレアリスム( 超現実主義) 表現が復活すると、敗戦後の社会生活を凝視するリアリズム運動と“ 鎬を削り” ました。その後、写真家・東松照明の登場と彼によって〈中部学生写真連盟〉が組織されると、若い感性が独自の表現を模索しますが、その一部はやがて学生運動へと収斂されて行きました。

 

 

 

 このように連綿と続く名古屋の写真表現に於いてさらに特筆すべきは、彼等の活動が個々の作品の発表に止まるばかりでなく、機関誌や会報、写真集を出版し、自分たちの表現志向や意志を伝えようとしたことです。各時代に出版された多種多様な資料群は、名古屋が全国でも屈指の「写真都市」であり続けたことを証明するものとも言えましょう。

 

 地味ですが、なかなか興味深い展示でした。