クラシック幻盤
偏 執 譜
著者 竹内貴久雄
発行 ヤマハミュージック
稀少廃盤を追い続けて50年!復刻盤・ライヴ盤の乱立時代に、本物に出会うための情報源!---データベース---
昭和50年代後半のレコード時代からCDへの過渡期をあらゆる録音を知る評論家、竹内喜久夫氏のディスクガイドです。構成が面白いく、縦糸と横糸(作品と演奏家、時代、録音など)がうまくからまって、最初から濃厚なCD15年史に始まり、「幻想」聞き比べやオリジナルLPと復刻盤についての対談とか、著者の好みによるのか、とりあげられる指揮者もピアニストもよくある本とちょっと違って興味深い内容になっています。小生ともほぼ年代を同一にし、50年も聴き込んで来た著者だからこそのディスクに対する期待や、思いが溢れ出てたことが綴られています。以下の章立てです。
【目次】
■第一章 とっておきCDの十五年史
―こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました
■第二章 LPレコード・コレクターズ対談
―「ここまで集めて ここまで聴いて」
■第三章 指揮者たちのカレイドスコープ
―20世紀演奏のクリップボード・第一
■第四章 器楽奏者たちのアイデンティティ
―20世紀演奏のクリップボード・第二
1998年から始まるCD15年史は著者の琴線に触れたものが取り上げられていて読み応えがあります。ただ、全てが良しとして取り上げられているわけではなく、例えば「フジ子・ヘミングの奇形な音楽」とか「窮屈で息苦しい小澤征爾の"ニューイャー・コンサート"」と強烈に批判しています。しかし、目利きは鋭く「驚異の新人指揮者、金聖響のベートーヴェン」、「チェルかスキーの最後の録音は"音楽的遺産"だとベタ誉めです。ほぼクラシックの本ですが、なぜか小生のブログでも取り上げているミシェル・ルグランの「懐かしきイージーリスニング時代を彷彿とさせる"ハッピー・ラジオ・デイズ"」をピックアップしています。そして、小澤征爾唯一のシベリウス録音となる「小澤征爾/潮田益子の青春の記念碑の復活」を喜び、氏の愛するロリン・マゼールも「マゼール/ニューヨーク・フィルのCDがやっと登場」と喜んでいます。
第2章の「LPレコード・コレクターズ対談」は非常にマニアックな内容ですが、実はこの部分が一番興味があり面白かったです。ミュンシュの「幻想」はパリ管とのEMIの録音があまりにも鮮烈だったためボストン交響楽団との録音は霞んでしまっています。で、RCAはいち早く1954年ごろにはもう時代を見越してステレオ録音を開始していました。で、1954年録音の演奏がすてれおでろくおんされたのですが、アメリカではLP時代はまず、モノラルで発売され、1950年代末にそれがステレオでそれもテープでのみリリースされています。しかし、ミュンシュは1962年に「幻想」を再録音していたんですなぁ。下がそのモノラルのジャケットです。SL2040で発売されています。
ところがステレオ時代になり、日本だけでステレオLPで発売されました。下はそのジャケットです。
ただ、このデザインは本来モントゥー/ウィーンフィルの「幻想」のジャケットで、国内盤はこれをミュンシュのモノラル時代のLPの再発の時に使ったデザインを転用していたというんですなぁ。それが下のジャケットです。
で、1962年盤はというと、アメリカでは1980年になって初めてLPで発売されています。実は日本盤は1954年のステレオが出た直ぐ後に1962年盤も発売されました。しかし、このアメリカの初出を鵜呑みにして日本でも発売されています。こういうややこしい事情はマニアしか知らないことですな。これ以上の詳しいことは本書を読んでください。他にも、「アタウルフォ・アルヘンタを語り尽くす」とか「ウラディーミル・ゴルシュマンの魅力」とか「忘れられたピアニスト・リチャード・ファーレル」などの記事が並びます。
第3章で登場する指揮者は異色です。ここではフルトヴェングラーやワルター、ベームは登場しません。唐牛でカラヤンは登場しますが、その他はルネ・レイボヴィッツや、ロリス・チェクナヴォリオン、アンドルー・デイヴィスなど個性的な名前が並びます。第4章も同様で、アラン・シヴィルは別格で、アニー・フィッシャー、エンマ・ジョンソン、ナターリャ・グートマン、レーヌ・ジャノーリなどこち味違うフーティストが竹内氏の目には止まっています。まあ、読むのに飽きませんわ。特にレコード世代の人には必読な書ですぞ!!