バック・トゥー・1971/02−2 | geezenstacの森

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バック・トゥー・1971/02−2

レコード芸術1972年2月号 

 

 

  この月の裏表紙はショルティ/シカゴ響のマーラーの交響曲第5番です。もう。この時期にショルティのマーラーの交響曲全曲録音の企画がスタートしていたんですなぁ。1970年の録音ですが、シカゴ響のパワーが炸裂した名演で以後長くカタログに残ります。

 

 
    この後の特集は今年期待の演奏家を探ると言うもので次の4人の名前が挙げられています。
・ジャクリーヌ・デュプレ
・スティーブン・ビショップ
・ネルソン・フレイヤ
・エレナ・スリオテス
 
   この1971年の時点で、ジャクリーヌ・デュプレはすでに病におかされていました。この年、来日もしていますが、体調不良でコンサートは全てキャンセルされています。2年後には、多発性硬化症と診断され、チェロ演奏家として事実上引退しています。
 
 スティーブンビショップは現在ではスティーブン・コヴァセヴィッチ,と名前を変えています。これは、スティーブン・ビショップと言うギタリスト兼シンガーソングライターが別に存在するからです。彼は、ダスティンホフマンが主演した映画「嫁い)の主題歌を歌っていました。さて、改名したコバチェビッチは一時マルタ・アルゲリッチと結婚していました。その二人の間にできた娘のステファニー・アルゲリッチは、主にアルゲリッチのCDの表紙やドキュメンタリー映像などを撮影しているプロの映像アーティストになっています。スティーヴン・コヴァセヴィッチは今でも現役で、最近ではピアノと指揮活動を半々で行なっているようです。
 
 ネルソン・フレイレ(こちらも、(当時はネルソン・フレーアの表記)も現在でも活躍しているピアニストです。1968年にレコードデビューしていて、彼のチャイコフスキーや、グリーグはよく聴いたものです。最初はCBSでデビューしていてそのイメージが強かったのですが、現在はデッカなんですなぁ。
 
 最後のエレナ・スリオテスは、当時期待されたソプラノ歌手で、この1970年に来日していますが、リサイタルは不調であまり評判は芳しくありませんでした。その後はあまり活躍した様子もなく、話題にも登っていません。
 
 
 前年には75歳でジョセフ・ローゼンシュトックがN響を振っています。
 
 
 チューリッヒ・コレギウム・ムジクムが来日し、70年11月にコンサートを開いています。オーボエがホリガー、フルートは二之、ハープはホリガー夫人、ピアノはこの当時は小林道夫が助っ人で登場していました。
 
 
 さて、レコ芸ではこの号でもブルースの王者のジョン・メイオールを取り上げています。クロスオーバーですなぁ。
 
 
 1967年にカラヤンがウィーンフィルとともに撮影した「カルメン」が映画として公開されています。もともとはユニテルが製作したもので、演出もカラヤンがかねています。バンブリーのカルメン、ヴィッカーズのドン・ホセ、ディアスのエスカミーリョという豪華な歌手陣、そしてカラヤンの求心力あふれる指揮が、壮絶な人間ドラマを描きあげています。また、若き日のミレッラ・フレーニによるミカエラ役のひたむきな歌唱が、美しい花を添えています。
 
 
 
 この号ではセルの追悼企画として、CBSでの最後のレコーディングとなった1969年10月のブルックナーの交響曲第8番のセッションの様子です。CBSのプロデューサーはアンドリュー・カズディンで、中央の写真でセルと意見交換しているのはコンマスのマジュスケです。
 
 
 で、こちらはEMIへのラスト録音となったブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音風景の様子です。上の録音に先立つ1967年EMIのアメリカの子会社キャピトルはソ連のメロディア・レーベルのアメリカでの販売契約を結びます。これがきっかけとなって、本家EMIもメロディアとの契約にこぎつけます。このことで、オイストラフとの録音計画が動き出します。ただ、この録音の時演奏家組合とのトラブルで、この録音セッションの2、3時間前にコンマスが辞任してしまったのです。1956年以来クリーヴランドのコンマスを務めた、ラファエル・ドルイアンがその人です。で、このセッションから急遽次席のダニエル・マジェスケに変わっています。そういう緊張感の中で録音されたものだったんですなぁ。セルがボスでよかった出来事でした。プロデューサーはピーター・アンドリー、エンジニアはキャピトルのカースン・テイラーが当たっています。
 
 
 前回も取り上げましたが、シュタルケルのこの来日時、ビクターとトリオがシュタルケルと録音セッションを組んでいます。上の写真はビクターとのセッションの様子です。この時録音されたのは、ビクターは、
コダーイ/無伴奏チェロ・ソナタ
バガニーニ/パガニーニの主題による変奏曲
シューベルト/アルベジョーネ・ソナタ
トリオには、
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第3、4番、魔笛の主題による12の変奏曲が録音されています。このプロデューサーは井坂紘氏です。
 
 
 こちらもビクターに録音された間宮芳生の無伴奏作品で、チェロは名取春甫氏、ヴァイオリンは外山滋氏です。もちろんプロデューサーは伊坂紘氏です。
 
 
 ベートーヴェン生誕200年も過ぎた頃、ベートーヴェンの頭蓋骨の写真がレコ芸に掲載されました。これまで、ベートーヴェンの耳の病気は従来の梅毒によるもの、耳硬化症によるものや内耳疾患によるものではなく、重症のチフスによるもので、プラスして慢性胃腸疾患およびその後の肝硬変による悪化が原因ということらしいです。
 
  
 この号の最後の方に3月1日創刊の「週間FM」発行の告知が掲載されています。ゲラ版は表紙がカラヤンというのも音楽之友社らしいですなぁ。1970年4月、FM東京が開局し主要3大都市にFM曲が揃いました。良質なステレオ放送で音楽が楽しめるようになったのです。ライバル誌の「FMfan」はすでに1966年から登場していて、ともにクラシック系の情報をメインとしていました。この号にはその番組組み見本が掲載されています。
 
 
 1971年の某月土曜日の番組表です。このFM放送が開始された頃は、電電公社(現在のNTT)の中継回線がステレオに対応しておらず、テープネットで放送していたため、番組の曲目があらかじめ数週間前から決められており、これを逆手にとって演奏曲目を雑誌に掲載することが可能だったのです。今では新聞のテレビ欄など1週間先ぐらいしか決まっていないのが当たり前ですから、この時代の方が小生らにはありがたかったです。何しろタイマー予約してカセットにまるまる番組を録音していましたからねぇ。
 
 さて、この番組表NHKはほとんどクラシックの番組で一週間埋め尽くされています。民放のFM東京は、この時代「FM東海」の名残で夕方の午後6時30分から午後9時まで「望星高校講座」を放送しています。ゴールデンタイムはNHKの独壇場だったと言っても過言ではありません。でも、NHKはこの時間帯はほぼクラシック番組の時間帯です。クラシック中心だった小生は何も困りませんでしたけどもね。(^◇^;)
 
 番組表は拡大できますので当時を懐かしんでみてください。