バック・トゥ・1971
レコード芸術1971年5月号 3
この5月号の特集は「商品としてのレコードを考える」でした。最初の「ライナー・ノートの効用/荻昌弘」という記事は興味深いものです。レコードはSP盤時代には解説などありませんでした。LP時代になって、このライナー・ノートが書かれるようになったのです。ここで記事を書いている荻昌弘氏は本来は映画評論家で、なおかつオーディオ評論家でもありました。氏はFM放送で「オンキョー・ダイナミック・サウンド」という番組を持っていました。小生なぞ、毎週日曜日の朝のこの番組が楽しみで、欠かさず聴いていたものです。
{{{荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988年7月2日)は映画評論家、料理研究家、オーディオ評論家。月曜ロードショーの解説者を長年務め、その落ち着いた語り口から、淀川長治、水野晴郎と並んで名解説者として知られた・・・}}}
当時はまだオープンテープが全盛の頃で、録音は2トラ38のテープで番組を録音していたほどです。でも、この番組で、当時出始めていたカセットテープの音質も捨てたものではないということを荻さんが取り上げたことで、小生もやがてカセットテープに鞍替えをしたほどです。
話が逸れましたが、ライナー・ノートは欧米では新譜に対してはきちっと付けられていましたが、再発盤は全くついていませんでした。また、解説も当時はいわゆる収録曲に対する解説で、演奏のことには一言もつけられていなかったのが本当のところです。ですから、一通りの曲の聴き馴染んでる人にとっては無用の長物といってもいいような内容がほとんどでした。氏はここで、「レコードのライナー・ノートは実は何をどう書こうと、そのレコードへアプローチしていこうとするリスナーへ、"一つの水路"を開いて導いていく行為に他ならない」と断じています。そして「読み手は、その文章に、人の言葉が聞きたがる、ということで、それでなければ、どんな「解説」が人を導けるのか?となげかけています。まあ、この点は今、レコードがCDに変わっても変わらないということでしょう。
そして、最後に「事実の手控え」を憂いています。この点は小生も同感で、この当時はジャケットのどこにも録音データが記載されていませんでした。この点はCD時代になって変わってくていますが、小生がブログて取り上げるCDのデータは知りうる限り記載しているのも、この荻さんの指摘に共鳴してのことです。氏は、この機会芸術が、いつ、どのような機能と知恵によって誕生したか、それを、誇りを持って示すことは、むしろ解説以上に、レコードの本質的なことではあるまいか?として記事を締めくくっています。
次は「ジャケットの美学-パッケージとしてのジャケット/富永壯彦」です。クラシックは時として指揮者で選ばれるようで、カラヤンがブームになったとき、お客さんがカラヤンのレコードが欲しいとレコード店を訪れ、店員が曲はと聞くと、何でもいいといって買っていったそうです。笑い話のようなことが現実だったんですなぁ。ここでは当時の話題として、次のレコードが取り上げられています。
ローリングストーンズの8角形のアルバムとA&Mから発売されたクリード・テーラーのプロデュースしたアルバムです。8角形はファンの目を引いたようですが、店側は陳列に苦労したそうで不評でした。のちのCTIレーベルとなる一連のアルバムは、タバコの吸殻をあしらったものですが、一貫した彼のポリシーがこのシリーズには出ていて、小生も注目したものです。まあ、クロス・オーバー・ミュージック、後のフュージョン・ブームのきっかけとなったものです。写真のウェス・モンゴメリーをはじめ、ヒューバート・ローズ、テオダート、ボブ・ジェームスのアルバムなど買い漁ったものです。ただし、コンピュレーショーン盤には手をつけませんでした。
この後の記事でも描かれていますが、日本盤は帯と称する厄介なものがおまけでついていました。最初は来日記念盤と称する細い帯だったのですが、そのうちカラヤンが来日することで、東芝EMIがフィルハーモニアとの旧録音を売り出すためにジャケットの1/3を占める
幅広の日本語帯をつけてからこれが常識になってしまったようです。まあ、本来のジャケット写真には細工はできないので日本語でアピールするための苦肉の策だったようですが、これがオリジナルのジャケットアートを隠してしまうという弊害を生み出したんですなぁ。でも、この帯があるかないかで中古盤の価値が全然違ってくるということでは困った習慣が根付いてしまったものです。ちなみに、この悪弊に果敢に挑戦したのがフィリップスが出した廉価版のグロリア・シリーズとユニヴェルソ・シリーズだったそうです。どちらもシリーズ独自のデザインでしたからジャケットのおもて面に日本語を表記できました。そんなことで帯が要らなかったようです。
小生のレコード紹介ではこの帯は外して紹介していますが、これもこの富永氏の指摘を受けての小生のポリシーになりました。
「廃盤・再発盤は避けられないのか/相沢翔八郎」は今でも続く問題で、再販制度がなくならない限りこれは続くでしょう。なにしろ、日本人は熱し易く冷め易い国民性ですから、喉元過ぎれば忘れてしまいますからなぁ。
最後の「国内録音・廉価盤/高柳守雄」はちょっと焦点のずれた記事ですが、日本語表記のいい加減さを指摘している点は注目でした。この年、クリスチャン・フェラスが来日しているのですが、彼の名前は「FERRAS」という綴りです。ただ、「PARIS」はもちろん「パリ」と発音します。フランス語には厄介な法則があって、語尾が「IS」はSが発音されず、「AS」の場合は発音するのだそうです。この当時の表記でレコード会社によって異なっていたのは「アンドレ・ワッツ」は「アンドレ・ウォッツ」、マルタ・アルゲリッチ」は「マルタ・アルゲリッヒ」、「ピエール・ブーレーズ」は「ピエール・ブレーズ」、セルジュ・ボード」は「セルジュ・ボド」、また、ユーディ・メニューイン」は「ユーディ・メニューヒン」と異なる表記が混在していました。まあ、小生らレコード世代はほぼ前者の表記を使いますな。
さて、「バロック音楽における通奏低音と即興演奏/高野紀子」ではマリナーの「四季」が取り上げられています。先にも紹介していますが、この曲ではマリナーは通奏低音にチェンバロとともにオルガンを使用しています。wikiには記載がありませんが、高野紀子氏によると、もともとの楽譜の楽器指定には「ヴァイオリン、弦楽合奏とオルガン(またはチェンバロ)のためのコンチェルト」となっているのだそうで第1の楽器に指定されているのはオルガンなのだそうです。
今の四季は過激的な表現に終始したものが目立っていて、マリナーの「四季」は忘れ去られています。しかし、ヴィヴァルディの指示に基づき、オルガンとチェンバロを使って演奏したこの演奏は再評価されてもいいのではないでしょうかねぇ。