至高の十大指揮者
著者/中川右介
出版/KADOLAWA 角川ソフィア文庫
三大指揮者」と称されたトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーからカラヤン、バーンスタイン、ムラヴィンスキーを経て、現代の巨匠ラトルまでの大指揮者列伝。無数の指揮者のなかから、地域・時代のバランスを考慮しながら10人を選び、どのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語を提示する。師弟、先輩・後輩、友人、ライバル…。相互に関連する著名な世界的指揮者たちの人間ドラマ。---データベース---
本書は「同じ曲でも指揮者によってどう違うのか」といった演奏比較を目的とした本ではありません。もちろん、演奏についてま記述もありますが、名盤ガイドでもありません。強いて言えば、ネット時代に繋げれる環境にあればYouTubeで下策すれば大抵の演奏は引っかかります。つまり、タダで聴くことができるので、それを聴きながらこの本を読めばより深く理解できるでしょう。
したがって、演奏比較、その特色の解説といった観点ではなく、その指揮者がどのようにキャリアを積み上げ、何を成し遂げたかという人生の物語がここでは語られています。そして、取り上げられている指揮者は絞りに絞って10名ですが、戦前戦後からレコード、CD時代を網羅する人選の中でお互いがいかに影響し合いながらクラシックの世界を生き抜いてきたのかを俯瞰することができます。
指揮者ごとの列伝なので、それぞれの章は独立しており、興味のある人物から読んでもいいのですが、それぞれの物語にほかの指揮者が脇役として登場することも多いので、第一章から順に読んでいただいたほうが、通史としてわかりやすいかもしれません。ただ、第5章に登場するムラヴィンスキーだけは確かにこの列伝では移植でタイトル通りの「孤高の人」になっています。
<目次>
第1章 「自由の闘士」アルトゥーロ・トスカニーニ
第2章 「故国喪失者」ブルーノ・ワルター
第3章 「第三帝国の指揮者」ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
第4章 「パリのドイツ人、ボストンのフランス人」シャルル・ミュンシュ
第5章 「孤高の人」エフゲニー・ムラヴィンスキー
第6章 「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン
第7章 「スーパースター」レナード・バーンスタイン
第8章 「無欲にして全てを得た人」クラウディオ・アバド
第9章 「冒険者」小澤征爾
第10章 「革新者」サイモン・ラトル
まあ、一般的な伝記としての指揮者像ではありませんが、フルトヴェングラーとトスカニーニの確執、フルトヴェングラーとカラヤンの確執、ワルターとフルトヴェングラーの確執、カラヤンとバーンスタインの確執などが歴史の流れの中で浮き彫りにされています。
意外だったのがシャルル・ミュンシュの扱いでしょう。この指揮者だけは他の指揮者とタッチが少し違います。というのも巻末に参考文献のリストがあるのですが、ミュンシュだけは自伝の「指揮者という仕事」だけしか上がっていないからです。それだけ、他の指揮者とあまり関わりがなかったように思えますが、実際には小澤征爾の項にはミュンシュ、カラヤン、バーンスタインと3人の指揮者がターニングポイントに大きく関わっています。また、戦時下ではミンシュは直接的ではなくカラヤンと対立しています。この構図はミュンシュがバリにとどまり、フルトヴェングラーがヒットラーの元でドイツにとどまったのと似ています。また、この本で初めて知ったのですが、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」という映画の音楽はミュンシュとパリ管弦楽団が演奏していることを知りました。
バーンスタインの成功はワルターの代役として立ったニューヨークフィルとのコンサートだったことは有名ですが、この時のコンサートの詳細もここには記されていてなかなかドラマチックです。しかし、このことが当時のニューヨークフィルの常任指揮者だったロジンスキに妬まれ殺されそうになったとは知りませんでした。
また、小澤征爾は一般的にはバーンスタインの弟子ということになっていますが、ニューヨークフィルの初来日の前に小沢をアシスタントコンダクターに採用していますが、これは日本の聴衆に対するリップサービス的なことを狙った作戦であったようです。羽田について飛行機のタラップから降りるときには先頭の小沢を後ろから抱きかかえるようにして、さも小沢とフレンドリーなように演出しています。この時の来日で演奏された曲目は日本人ウケしないものでチケットの売れ行きは良くなかったようです。
この本、一読するとその指揮者陣からしてベルリンフィルの物語のような様相を感じると思います。まあ、事実そんな節も思い当たります。これは日本人の目から見たらという視点を付け加えたほうがいいでしょう。しかし、ヨーロッパ視点で見るとトップはベルリンフィルやウィーンフィルではなくコンセルトヘボウがくる評価ですから、また違った人選になるのでしょう。
クラシックの音楽を色々な指揮者で聴く楽しみを享受する人なら一読しても面白いでしょう。多分音楽の聴き方が変わるかもしれません。かく言う小生も、フルトヴェングラーも聴きますがサム・オブ・ゼムの一人でしかありません。