ジンマンの第九 | geezenstacの森

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ジンマンの第九

 

 

 このCDはアメリカ盤で、レギュラーのレッドシールで発売されています。


 先日のパブロ・エラス・カサドとNHK交響楽団の「第九」を聴いて、無性にダヴィド・ジンマンの演奏が聴いてみたくなりました。なにやら解釈に非常に近しいものを感じたからです。演奏時間のタイミングもエラス・カサドの解釈と似ています。

 

エラス・カサドのタイミング

第1楽章 13:35

第2楽章 13:33

第3楽章 12:07

第4楽章 21:58

 

 ジンマンの演奏は初のベーレンライター版による交響曲全集だということで発売当時は話題になりましたが、よく聴いていくとあまりベーレンライター版に忠実でないことがのちに明らかになりました。でも、この第九に限っては必ずしもそうも言えないようです。

 

 レコード芸術の1999年5月号にジンマンへのインタビュー記事が掲載されているのですが、その中でジンマンは、それまで、ジンマンは自分で「研究」した楽譜を使っていたのですが、98年12月の1,3,9番の録音セッションになってやっと「これではいかん」と反省して、デル・マー版に真剣に目を通すようになったのです。

 

 このCD、面白いことに第4楽章がアレグロ・アッサイ以下が2トラック収容されています。つまり、ボーナストラックとして「ゲネラル・パウゼ付き第4楽章」というのが収められているのです。それは第4楽章の746小節目と747小節目の間にGPを入れるというものです。つまり、全休止ですな。この件については、初出のCDでジンマン自身がわざわざライナーノーツを寄せています。

 

「ジョナサン・デル・マーの『校訂報告』を読んでいるうちに、たまたま私はベートーヴェンのオリジナルの自筆稿に関する注釈が目に入った。それによると、"Bruder"という言葉のすぐ前の小節の間にゲネラル・パウゼが書かれていたというのである。後に演奏する際に使われた楽譜では、ベートーヴェンはこのゲネラル・パウゼを取り去ってしまい、それ以来ずっとこの形での演奏が定着したのである。そういう訳だから、我々が自筆稿を参照して演奏するにあたっては、このパッセージが最初に意図された形を聴いてみるというのは、興味があることである。なぜベートーヴェンがこの箇所を今のような形に変えたのかという理由ははっきりしてはいないが、我々は今の形で聴くことにすっかり慣れきっているため、ほかの形での演奏を思い浮かべることは出来なくなっている。同時に、このことは、音楽学者の仕事というものが、いかに人々の想像力を刺激することができるのかということを、端的にあらわしている。」

というものです。最終的にデル・マーの校訂はこのゲネラルパウゼを採用しなかったのでジンマンはベートーヴェンの初期の第九の姿としてこのボーナストラックを録音したようです。

 

 さて、この演奏はパブロ・エラス・カサドの演奏と近しいのではと思って聴いて見ましたが、やはり、えらい違いようです。両者ともかなり小編成のオケを使って見通しの良い演奏に徹しているところは共通で、ティンパニも硬いマレットのバチを使っていますが、ドイツとスイスのオーケストラの音色の違いは歴然で、トーンハレは軽い音がします。また第1楽章からジンマンは前のめり的テンポで突き進んでいきます。この推進力はエラス・カサドにはありません。でも、日本の評論家からすればこういう演奏は異端児の何者でもないでしょうなぁ。

 

 第2楽章「モルト・ヴィヴァーチェ」もまさに軽快な「ノリ」で突き進んでいきます。カラヤンやシェルヘンの熱狂的な集中力とは、また一風違った弾むような楽しさで、まるでスポーツカーで高速をぶっ飛ばしているような爽快感です。楽器編成のためか管楽器が目立って、普段は聴き取りにくい内声部の音が聴こえてきます。鋭いティンパニの打ち込みがが効果的にケツを叩いて煽っています。

 

 レコード時代は3楽章の途中でレコードをひっくり返すという儀式が当たり前のようなことがあり、ここで休憩タイムを取ることができたのですが、CD時代はそういうわけにはいきません。一昔前の第指揮者の演奏はこの第3楽章でうとうとするのが当然のような冗長な演奏が多かったのですが、エラス・カサドといいこのジンマンといい快速でこのアレグロを駆け抜けていきます。早めで揺れのないテンポ、で薄味ながら繊細な弦、管楽器のやさしい響き。やや素っ気なくも聴こえる表現なんですが、むしろ素直に心に染み入ります。

 

 初めてこのジンマンの第4楽章を聴いた時には開いた口がふさがりませんでした。カラヤンのような近代的な圧倒的技量を誇るオケで押し倒されるのも悪くありませんが、それとは全く正反対の演奏でこけます。最初の提言のゴリゴリとした響はどこにもありません。素朴、軽量で、ある意味弾むようなリズムで演奏されます。。

 

 合唱もスケール感はありませんが歌詞がくっきりと聴こえます。なおかつ、ソロが装飾音を加えていて異色な歌い回しです。バスが若々しい歌声でオーボエとの絶妙の絡みを聴かせます。ソプラノ・アルトもヴィヴラートは押さえ気味で、良い意味オーケストラに溶け込んでいます。

 

 

 古楽演奏の延長線上にある響きで、いろいろ問題点はありますが、現在のフルオーケストラによる演奏の先駆けとも言える演奏でしょう。