レコード芸術 1969年12月号
その1
過去のレコード芸術を取り上げるシリーズの1969年12月号です。30センチ・ステレオLPの千円盤が、はじめて発売されたのは1969年5月のこと。日本コロムビアが「ダイヤモンド1000シリーズ」として10枚の千円盤を発売したのを端に発します。但しアーティストはハンス=ユルゲン・ヴァルター、ギンペル、ビアンカなどと地味で、「安かろう、悪かろう」のイメージがついて回ったのも確かです。当初はレコード芸術では全く相手にしていませんでした。
そのレコ芸が初めてまともに記事として取り上げたのがこの69年代も終わろうとするこの号でした。表紙はベームの指揮するベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」の全曲盤です。この録音は翌1月号でレコードアカデミー大賞を受賞しています。当時のグラモフォンとしては、ベートーヴェンイャーを幸先のいい形でスタートを切れたわけです。ベームはこの「フィデリオ」を生誕150年の時も振っており、生涯に200回以上指揮しています。
巻頭のRCAの広告の顔はアーサー・フィードラーです。
フィリップスはベテランのフィリップスでベートーヴェンの交響曲全集を完成しています。
小生の記憶では、レコ芸が初めてブルックナーの特集を組んだのではないでしょうか。多分この記事を読んでブルックナーに開眼した記憶があります。小生にとってはこの時代はマーラーではなくブルックナーだったのです。
ルイ・オーリアコンブに率いられたトゥールーズ室内管弦楽団を知ったのもこの写真が最初でした。
EMIはRCAと並行してアンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団の録音をこの後スタートさせます。
多分ご存知の人は少ないかもしれませんが、今井信子の登場までは、このワルター・トンプラーがヴィオラの人気を引っ張っていました。
こちらもちょいと渋めのゲザ・アンダです。この月のピンナップはこの安打でした。ただね人となのが不鮮明でしたので、こちらの写真を使って欲しかったですなぁ。
東独のピアニストのディーター・ツィヒリンです。この年来日していますが、東独からの親善使節としての来日で、わずか2海里リサイタルしか演奏していません。エテルナレコードは当時まだ発売窓口がなかったため、ほとんど知られていませんでした。
一躍CBSソニーの顔となったジョージ・セルのポートレートです。バーンスタイン、オーマンディを失ったCBSはこのセルの売り出しに躍起になります。でも、70年の来日直後に亡くなってしまいますからソニーのクラシックには大打撃だったでしょう。
この当時はカラヤンがサヴァリッシュの邪魔をしてウィーンフィルを振らせなかったという噂が流れ、それもあってウィーンではウィーン交響楽団を指揮していました。それがためか、ウィーン京都はあまり録音を残していません。
小澤征爾はシカゴ響とRCAとは録音していましたが、この歳からEMIにも録音を開始しています。この最初のセッションはリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」とボロディンのダッタン人の踊り」、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」とコダーイの「ガランタ舞曲」というちょっと地味なものでした。
この頃からオーボエのハインツ・ホリガーの露出が大きまなってきています。
フランス・パテはこのセルジュ・ボドを使ってパリ管との録音を推進します。ボドはあまり知られていませんが、パリ管の常任指揮者に就任(1968-1971)しています。一般にはミュンシュ亡き後カラヤンがその後を継いだと表記されますが、カラヤンは音楽顧問としての立場で、常任指揮者はこのボドでした。