マニュエル・ロザンタールの
エリック・サティ管弦楽曲集
曲目/サティ
1.バレエ組曲「パラード(見世物小屋)」 16:13
2.三つの組み立てられた小品 5:11
3.ソクラテスの死-第3部 17:50
4.馬の装具で 8:00
ソプラノ/ドニーズ・モンティル
指揮/マニュエル・ロザンタール
演奏/フランス国立放送管弦楽団
録音/1959
日本コロムビア HRS−1021-EV(原盤エヴェレスト)
コロムビアから発売されていた「ヒストリカル1000」シリーズの第2回発売の中の一枚です。当時は歴史的録音ものは東芝にGRシリーズというものがありましたが、さほど興味があるわけでなく、価格もレギュラープライスということもあって触手は動きませんでした。ただ、コロムビアは上手いところをついてきます。このヒストリカル1000シリーズはメジャーなCBSを失ったコロムビアが手持ちのレーベルをかき集めての苦肉の策のようなラインナップになっています。ヒストリカルとは謳っていますが、シリーズの中にはステレオ録音も含まれています。レコード番号の頭の記号がただのHRならモノラル、HRSならステレオと明確に区分されていました。
この一枚はそのステレオ盤で、曲目も当時ようやく注目され始めたサティのジムノペディ以外のオーケストラ作品集ということで興味を持って購入したものの一枚です。指揮者のロザンタールといえば、オッフェンバック作品をバレエ音楽用に編曲した「パリの喜び」で名前が残り知られています。古い人だと思っていたのですが、1904年生まれですが、2003年に亡くなっていますからほぼ一世紀を生き抜いた人です。
第1曲の「パラード」は英語では「パレード」です。この曲はバレエ作品で、一場の幻術主義的バレエとして公開されました。サティはこの作品の中に大太鼓、小太鼓、拍子木、タンブラんという打楽器に加えてサイレンやタイプライター、連発ピストル、福引用回転台などの小道具も曲の中に加えています。
初演は豪華スタッフで、台本はジャン・コクトー、舞台装置・衣装がパブロ・ピカソが担当し、ディアギレフのロシアバレエ団によって1917年5月17日にエルネスト・アンセルメの指揮でシャトレー劇場で初演されています。
聴けばわかりますが、ピカソの主張したキュービズム運動の中で描かれた作品ということではストラヴィンスキーに引き継がれる響きの原型みたいな作品になっています。こういうサティの作品は現在でもあまり聴くことはできませんが、ジムノペディとは違う査定の本来の姿をうかがい知ることができる作品です。このパラードについては、著書の中でロザンタールは次のように語っています。
{{{印刷された譜面ではイタリア語を使う──アンダンテ、アレグロといった具合にね。でもフランス音楽を演奏するのに、これらの言葉は実のところ役に立たない。メトロポリタン歌劇場でのリハーサル初日、私はオーケストラに向かってこう言った。「さあ《パラード》冒頭の二音を鳴らしてくれ、ダー、ダンと」。連中は鳴らしたが、まるで間違っていた。いや、むしろ、まるで「正しすぎた」というべきか。だから私は回り道をして事に当たらねばならなかった。私はこう続けた。「なるほど正しい。でも我々はこれを《正しく》演奏してはいけないんだ」。音楽は正しくない。サティは《正しく扱われる》ことを警戒した最後の人物だよ。考慮すべき点はまだある。私は連中にこうも言ったよ、これまでのすべて──ヴェルディ、ワーグナー、ロッシーニ、プッチーニはすべて忘れろ、とね。これから弾くのは、とてもフランス的な、とても明晰な、とても入念緻密なものなのだと。たるんでも、だらけてもいない、たいそう簡潔なものだ。すべては直截に、愉しげに、意気揚々とやらねばならない。
《パラード》冒頭の数小節は、オーケストラにフランス音楽を伝授するのに打ってつけだ。というのも、ここでサティがワーグナーを嘲笑しているのがわかるから──これは似非ワーグナーの金管なのさ。サティは金管楽器がもっと直截に、効果的なやり方で演奏できるのを示したかったんだ。ワーグナーの場合、金管はいつだって弱音で忍び寄り、最低音から始めて、たっぷり時間をかけて高揚し、そして弱まっていく。この冗長なやり方こそ典型的なドイツ的知性という奴だ。サティでは、金管はいきなり鳴り響く!──藪から棒にさ──この発想をずっと持続しないといけない。我々は最初の二小節を二十回もさらった。私はオーケストラにこう告げた。「この最初の二小節の感覚が摑めたら、そのあとは楽になるよ」と。まさにそのとおりになった。
《パラード》は「管弦楽化(orchestrated)」されるのではなく、言ってみればむしろ「器楽化(instrumented)」されている。オーケストレーションとは隠蔽作業なのだ。上から色彩を塗りたくる。でも《パラード》はサティの他の作品と同様、まるきり剥き出しだ。オーボエ一本と小編成の弦楽。ずっとオーボエが一人で歌い、弦楽が下支えするでもない。フランス式庭園と同じで、フランス音楽は明晰、精確、繊細でなければならない。サティの音楽には嘘がない。オーケストレーションとは嘘八百つけるものだからね。
1917年の《パラード》パリ初演は大騒動だった。それは音楽の書法に新たな道筋を示した。卑俗でなく、親しみ深く、単純きわまる音楽。ワーグナーへの反逆だったんだ。サティはワーグナーの音楽には敬意を払っていたが、ポスト・ワーグナー派が幅を利かすのに反撥し、それを率直に表した。《パラード》騒動の原因は、もうひとつ、第一次大戦の只中に上演されたという点にもあった。聴衆は新しい美学に驚愕するとともに、数マイル先で砲弾が飛び交うなか、連中が馬鹿騒ぎすることにも憤ったのだ。詩人のフィリップ・スーポーは後年、戦時下で《パラード》を上演するのは破廉恥な行為だと感じたと、私に語ったものだ。シュルレアリストもブルジョワジーと同じくらいむかっ腹を立てたのだ。
ラヴェルとマルセル・プルーストも《パラード》上演時の客席にいた。プルーストは気に入ったと語り、ラヴェルは好きでないと言った。そう口にしながらも、ラヴェルはサティの影響を蒙った。称賛しないまでも、サティの存在は避けて通ることができなかった。サティは同時代の者すべてに感化を及ぼした──ストラヴィンスキーにすら。彼らはそう自覚しないまま、彼を《感じ取って》いた。このような人物から受ける影響にはさまざまなありようがある。}}}
これを踏まえて演奏をお聴きください。
2曲目はサティ1919年の作品です。最近ではオーケストラよりも4手のピアノ作品として演奏されることが多いようです。曲は3つの部分からなっていて、
1.パンタグリュエルの幼年時代の夢
2.コカイニュの行進曲
3.ポルカを踊るガルカンチュアの遊び
という構成になっています。16世紀の風刺作家ラブレーの作中人物の大食漢のガルカンチュアとその息子のパンタグリュエルを描いた作品です。訳によってタイトルがいくつもあるようで、実際このレコードの帯には「馬に乗った三つの小品」と表記されていますが、どちらも正しいようです。オーケストラ音源が乏しいので佐渡裕指揮ラムルー管弦楽団のものを貼り付けておきます。
B面には1918年に書かかれた最後の声楽作品としても知られる『声楽を伴う三分の交響的ドラマ「ソクラテス」』の第3部にあたる「ソクラテスの死」が収録されています。ソクラテスは哲学者としての名前は知っていますが、彼が明史湯主義の論理により、多数決で死刑を宣告されて自ら毒を飲んで死んだということはあまり知られていないのではないでしょうか。ここではそのソクラテスの死に至る情景をソプラノの語りとして交響的に表現しています。この曲も録音が少なく、ここではレイボビッツ指揮パリ間の演奏です。
最後は元々はピアノの四手連弾作品をオーケストラ用に編曲したものです。4つの商品からなる作品で、コラール、連祷楓フーガ、他のコラール、紙のフーガで構成されています。1911年の作品で、サティらしい奇妙かつ幽玄な雰囲気の曲です。