日本の異界 名古屋 | geezenstacの森

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日本の異界 名古屋

 

著者 清水義範

出版 KKベストセラーズ ベスト新書

 

 

 東京も大阪も、人が住むところだとは思っていない。濃尾三川が名古屋がガラパゴス化させた。徳川宗春の失敗が、名古屋を堅実にした。かき氷にも味噌!?サムライ言葉で会話…独自の進化をとげる町・恐るべし、名古屋!---データベース---

 

 名古屋市出身ながら現在では名古屋よりも東京暮らしが長いという清水義範氏ですが、文壇デビューした「蕎麦ときしめん」のイメージが強いので名古屋を語らしたら右に出る者はいないということなんでしょう。まあ、多才な人で当初はジュブナイル小説でSFを書いていました。そんなことで半村良の弟子となっていますが、その後はパスティーシュ作家として台頭し、のちには西原理恵子氏とのコンビを組んだ「お勉強シリーズ」を発表しています。もともとが愛知教育大学出身ということもあり、歴史物も得意で虚実入り混じった「偽史日本伝」、「金鯱の夢」や「if幕末」なんかは抱腹絶倒ものです。

 

 そんな氏が名古屋について外側から名古屋を見つめたエッセイとしてはなかなかの面白さがある一冊に仕上がっています。章立ては以下になっています。

 

第1章 名古屋に魅力はなぜないか

第2章 名古屋人のツレ・コネクション

第3章 名古屋人は功利的である

第4章 名古屋弁は仲間内言語である

第5章 名古屋の味は面白さ重視

第6章 奇才藩主宗春が名古屋を変えた

第7章 名古屋の経済は自立している

第8章 名古屋のタウン考

第9章 尾張藩のざっくりとした歴史

第10章 これからの名古屋

 

 執筆のきっかけは2016年6月に実施した「都市ブランド・イメージ調査」の結果、ダントツ1位で「行きたくない街ナンバー1」に選ばれてしまいました。そこで氏にシユッパン者から依頼があり、名古屋とはどういうところだという分析を依頼したのがこの本の成り立ちのようです。

 

 上の10章に分けられた考察の中には名古屋がそれだけで完結していて外を向いていないという指摘と、ツレ・コネクションの強さ、はたまたは家にへばりついている体質といったことをあげています。まあ、的を得ているわなぁ、と個人的にも納得してしまいます。小生にしても地元企業に就職したこともあって一時的には転勤で県外に出たことはありますが、最終的には元の鞘に収まって生まれたところにずっと住み続けています。

 

 よく言われるお値打ち文化は名古屋の特徴です。少しでもおまけがあるとそれになびきます。喫茶店のモーニングなんかはその最たるもんでしょう。子供の時大阪に行って喫茶店でコーヒーを頼んだ時何も付いてこないのにびっくりしたことがあります。名古屋では絶対にそんなことはありません。ドリンクを頼めばピーナッツやコブクロのおつまみが付いてきます。それが当たり前なのです。今ではコメダ珈琲が全国に展開していますからそのスタイルが理解してもらえると思いますが、おまけのないコーヒーなんてクリープを入れないコーヒーと一緒ですな。喫茶店の数は必ずしも全国一というわけではありませんが、駅近に集中している大都市の喫茶店と違って名古屋には身近な住宅地にも喫茶店が存在します。我が家の周りを見渡しても半径300メートル以内に3件もあります。最近こそ隠居ご老人の溜まり場と化していますが、以前は応接間代わりに使われていたのが喫茶店です。そして、喫茶店とは言いながら昼はランチで鉄板焼きのナポリタンや定食が出てくるのが当たり前です。

 

 名古屋(広い意味で愛知県)は三英傑を排出しいますが、決して中心都市にはなりませんでした。天下取りにはふさわしくない土地ということを自覚していたんでしょうなぁ。だから東京にも大阪にも対抗意識しあまりありません。一時期名古屋市長が中京都構想をぶち上げましたが盛り上がりませんでした。誰も期待していないんですな。名古屋は東京へは出かけることはちょくちょくありますが、不思議と大阪へはあまり出かけません。この本でも清水氏が指摘していますが、これは確かにあります。京都はリスペクトするのですが、大阪はまるっきしありません。名古屋人にとって大阪の価値観は希薄なんでしょうかねぇ。大阪城ひとつ取っても秀吉の大阪城ではなく徳川幕府が建てた大阪城のレプリカで満足してしまっているのがなんとも奇異に映ります。

 

 第5章で名古屋の食文化について語っていますが、ここはちょっと物足らないところがあります。一応名古屋めしの主だったところは触れているのですが、ソウルフードというべき「寿がきやのラーメン」が全く登場しません。これはいかんがね。ただ、名古屋めしの優、「ひつまぶし」は普段は「あつた蓬莱軒」のみが取り上げられますが、栄にある「いば昇」を取り上げているのはさすがです。小生も「いば昇」のほうがうまいと思います。

 

 さてさて、名古屋といえば名古屋弁、昔は由利徹、今は名古屋七曜の河村たかし氏が使っていますが、一般の名古屋人はこんな言葉は使いません。言葉は生きていますから時代に即した名古屋弁が必要でしょう。そんな中で全く無意識に使っている「〜してみえる」という言葉、実はこれ名古屋弁なんですな。「住んでみえる」、「知ってみえる」という言い方は尊敬語ではなく、名古屋弁の進化系なんですな。ベタな名古屋弁では「住んどりゃーす」、「知っとりゃーす」ですが、若いおばさん達は今は進化系を使っています。標準語ではないんです。

 

 第9章で尾張藩の歴史が語られます。御三家といわれながら将軍を排出できなかった歴史が垣間見れます。これを読むと、尾張徳川家が幕末なぜ新政府派に与したかが理解出来ようというものです。

 

 名古屋はそれだけで完結している都市。ということでは名古屋はこのままでいいというのが清水氏の結論です。名古屋港はこの本では2016年までの数字を使っていますが、最新の2018年度も貿易黒字額日本一で、21年連続です。もちろんトヨタを抱えていますから、輸出額はダントツで日本一です。別に日本の中心でなくても、こういう実績がありますから名古屋は名古屋人だけで、本音丸出しで、ツレと助け合ってよくするようにヌクヌクと生活していて、この上なく居心地がいいのだ。というのが氏の結論です。

 

 そうだわなぁ、皆さん名古屋には来ないでくださいね。