ifの幕末 | geezenstacの森

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ifの幕末

 

著者 清水義範

出版 集英社

 

 

 十九世紀半ば、ゴールド・ラッシュに沸くアメリカに、周囲の男たちから浮いた優雅な身なりの青年が。金鉱を見物に来たフランス人のシオンは、帰国する船賃稼ぎ中のジョン万次郎と出会い、日本への興味を深める。数年後、シオンはオランダ人と偽って開国目前の長崎へ。美しい顔立ちと行動力を武器に、幕府の大物たちに接近し、ついには―。歴史の隙間に“もしも”を巧みにちりばめた傑作長編。---データベース---

 

 清水義範史の作品には「金鯱の夢(金庫の夢)」という江戸ならぬ名古屋が都になる歴史if小説もあり、そちらはパロディ小説としての側面か強いのですが、こちらは清水氏のお得意のパスティーシュ長編となっています。もともとは「幕末裏返史」というタイトルで発表されたものですが、文庫本化にあたって「ifの幕末」に改題されたものです。冒頭は世界情勢を知るにはうってつけのアメリカはカルフォルニアのゴールドラッシュの時代から幕が開きます。そして、さんとこの小説の主人公となる人物はフランス人のアナトール・シオンという貴族の末裔というべき青年です。髪はグレーで目は透き通るブルーという好青年で、その彼がカルフォルニアで出会うのはジョン万次郎です。そう、聞いたことがある名前でしょう。土佐の高知の出身で漁に出て遭難し、アメリカに流れ着きついには日本に帰国した人物です。実在した人物がポンポン登場します。まさに壮大なるifで、下手な「大河ドラマ」より断然面白い仕上がりです。

 

 これは映画化したら絶対ヒットするだろうなぁと思える痛快な小説です。映画化するならこんな配役を考えてしまいます。

 

 アナトール・シオン---ウエンツ瑛士

 ジョン万次郎--桐谷健太

 音吉--よいこ濱口

 坂本龍馬---内野聖

 勝海舟---小日向文世

 西郷隆盛---塚地 武雅

 吉田松陰---伊勢谷 友介

 老中首座阿部正弘---内藤剛志

 

 まさに痛快なイフ小説で、しかし、こんな小説は世の学生にお勧めするわけにはいきません。こんなの読んだら日本史は確実に試験に落っこちるでしょう。出来れば入試に合格してから読んでください。そうすればこの小説の面白さが倍増するでしょう。

 

 冒頭で、ジョン万次郎と音吉が登場します。音吉は尾張国知多の漁師でジョン万次郎に先立つ1832年(天保3年10月に遭難しています。アナトール・シオンはこの彼ともイギリスはロンドンで遭遇しています。この音吉は日本人として初めてイギリスの土を踏んだ人物と言われていますが、清水氏はこんな彼にもスポットを当ててストーリーを組み立てています。この音吉に興味のある人は春名徹著『にっぽん音吉漂流記』をおすすめです。

 

 そして、ついにシオンは日本語を学ぶために音吉のいる上海経由でオランダ人として日本にやってきます。そして、万次郎が土佐にいることを知ると彼とも再会を果たします。この清水マジックに引き込まれるとホントのようなウソのような・・・まるで、実際の史実がそうだったかのような感覚にとらわれてきてのめり込んでしまいます。黒船来航、日米通商条約締結、幕末の動乱、明治の始まり・・・そんな動乱の歴史の中で、勝海舟、坂本竜馬、西郷隆盛、吉田松陰らが次々と登場してきます。しかし、ちょっと違うぞと気がつく辺りから話しはとんでもない方向に進んで行きます。

 

 前半はなんとなくこんな流れもあってもおかしくはないわな、程度なのですがこれが最後の徳川慶喜将軍の時代辺りからごろっと流れが変わっていきます。尊王攘夷ならぬ尊王好夷なる思想が登場し流れが変わり、近藤勇の新撰組ならぬ斬新組が京都では無く横浜に登場するのですから日本は本来の歴史とは違った様相を見せ始める。という方向に話が展開していきます。

 

 列強と通商条約を結び開国の段には、シオンは幕府側の相談役になって日本が列強に付け入られないような外交をすることを進言するなど堅実な筋で話が進むのですが、長州藩が「禁門の変」ならぬ「半蔵門の変」で大暴れをした後の処理をめぐりいよいよ幕府の力がなくなってくる頃から、なんとか内戦が起こる事無く平和裡に日本の体制を変えようとして奇抜な作戦を坂本や勝らと示し合わせて仕掛けます。まさに最後はタイトル通りの世の中の流れを、日本の歴史をがらりと変えてしまう展開です。

 

 それにしても清水義範の文体は冴えています。日本の歴史をきっちり押さえながらそれを清水流に料理する味付けは絶妙です。歴史上の人物のキャラクターを生かしながら、とんでもない行動をさせます。一例を挙げれば、

 

 ・筋を通すことに異常な執念を燃やす安政の大獄の首謀者、井伊直弼

 ・冗談を言って笑ってばかりいる陽気な青年なのに、実は暗殺者の中村半次郎(桐野利秋)

 ・英明な兄に嫉妬し、ナポレオンのような英雄になりたがるが器の小ささを家臣に軽蔑される島津久光

 ・単純な性格だが、妙に威厳があってリーダーっぽく見える近藤勇

 ・桂小五郎を助ける鞍馬天狗として登場する人物が実はシオンその人

 

てなもんです。極めつけは「生麦事件」でしょう。島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を神奈川奉行所の役人が切捨てようとしたところ、久光の命により薩摩藩士がその役人を切捨て、イギリス人を殺さずにすんだ...だったり。吉田松蔭は安政の大獄で死罪となるのですが、ここではシオンの働きにより井伊直弼に直訴し、死罪をまぬがれ米国の視察団に登用され帰国の途中で事故死したりと、史実に基づいている部分と創作の部分があって、歴史を知ら無い人が読んだら大変なことになるでしょう。