ロストロポーヴィチ/ターリヒの
ドヴォルザーク
曲目/アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク
1.チェロ協奏曲第2番 ロ短調 作品104 (B.191)
2.スラブ舞曲Op.46全曲
チェロ/ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチ
指揮/ヴァーツラフ・ターリヒ
演奏/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952/06/16-18 ルドルフィヌム 、プラハ
1950/06/06-08* ドモヴィナ・スタジオ、プラハ
membran 233245-11
このCDは「クラシック・マスターワークス」という50枚組のボックスに含まれるもので、かなり以前に発売されたものです。まあ、歴史的録音ものばかりですが、これが珠玉の名盤揃いです。この一枚もそうでしょう。市販では2006年にスフラフォンレーベルから発売されています。そちらはドヴォルザークのピアノ協奏曲とカップリングされていました。しかし、こちらはおまけにドヴォルザークの「スラヴ舞曲Op.46」がカップリングされているということで、どちらかというとターリッヒが主役という感じになっています。そんなことで、チヨット聴くのを後回しにしていた部分があります。
しかし、久しぶりに引っ張り出してプレーヤーに掛けてみたら凄絶な音楽が流れてくるではリマセンか。これまで、ロストロポーヴィチのドヴォルザークといえばカラヤンとの共演盤が一番だと思っていましたが、モノラルという半ではあるもののこれはこれで2つの個性がぶつかりあう名演です。ターリッヒもどヴォ8などのレコードを持ってはいましたが今ひとつピンとくるものがなくそれなりの指揮者という評価しか個人的には思っていませんでしたが、このCDを聴いて認識を新たにしました。カラヤンがが「もし再びターリヒの演奏を生で聴けるならば、片腕を失ってもいい」と述べたという評価が思い出されました。
ここでちょっとターリヒのおさらいを。ヴァーツラフ・ターリヒは1883年モラヴィアのクロメジーシュ生まれています。作曲家であった父親に音楽を学んだ後、プラハ音楽院でシェフチークにヴァイオリンを師事します。卒業後の1903年には、ベルリン・フィルのコンサートマスターとして入団し、翌1904年にはオデッサ歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任します。この頃から頭角をあらわし始めたターリヒは指揮もするようになり、1905年から1907年までリュブリャーナ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、さらに1908年からはスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者しています。しかし、自分の専門技術と知識に満足していなかったターリヒは、1910年から1911年にかけてライプツィヒでニキシュやレーガーに師事して指揮法の研鑽を積み、1912年からピルゼン歌劇場の指揮者をつとめ、1918年にはチェコ・フィルに移り、1919年からは同オーケストラの首席指揮者に就任します。以後、22年間にわたってその地位にあり、チェコ・フィルを世界的なオーケストラへとパワーアップして黄金時代を築いた実績はあまりにも有名です。その間、1931年から1933年にはストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、1935年からはプラハ国民劇場の音楽監督兼ねるなど、精力的に大活躍しています。
しかし戦後はナチス占領下での言動が災いして戦犯容疑をかけられ逮捕、釈放後も指揮台に立てず、復帰は1946年9月。さらに1948年にチェコスロヴァキアに社会主義政権が樹立すると、ターリヒはプラハを離れ、スロヴァキア・フィルの首席指揮者を務め(1949-1952)、1953年にはプラハ戻ってプラハ放送交響楽団の指揮者(1953-1954)となり、1954年になるとようやくチェコ・フィルへの復帰を果たしています。しかし1955年以降はほとんど活動をせず、1961年3月16日に没しています。そんなことで、この大指揮者もステレオ録音という時代の潮流には乗れずに亡くなっています。誠に残念ですなぁ。スプラフォンがもう少しターリヒに寄り添っていたらと思わずにはいられません。
しかし、面白いことにここに収録されている2曲ともターリヒがチェコフィルとは疎遠な時期の録音ということです。この時代はアンチェルが首席指揮者でしたがターリヒの弟子ということもあり、良好な関係ではあったのでしょう。背景はレコーディングは1952年で、25歳の若きロストロポーヴィチが「プラハの春音楽祭」でカレル・アンチェル指揮チェコ・フィルとの顔合わせで同曲を演奏した2週間後におこなわれ、指揮は、当時まだ共産主義者によってボヘミア国内での公開演奏を禁止されていたものの、それでも録音活動は許されていたヴァーツラフ・ターリヒが務めました。そして、世紀の名演が生まれたわけです。
ところでこのCDのジャケットにはチェロ協奏曲第2番という表記がなされています。普通は単にチェロ協奏曲とだけ表記されるのでちょいと調べてみたら、これがあるんですなぁ。第1盤はしかし秀作です。ピアノ譜しか残されていません。それも、50分を超える大曲なんだそうです。オーケストラ編曲版が存在するようでハーディングが録音しているようなので今度聴いてみることにしましょう。
さて、改めてチェロ協奏曲です。ロストロポーヴィチは生涯に7種類の録音があるようですが、まあ一番知られているのはカラヤンとの録音でしょう。発売時には、ドイツ・シャルプラッテン賞、フランス・ディスク大賞、そして日本のレコード・アカデミー賞等、世界中のレコード賞を総なめにしました。名盤でしようなぁ。彼は1927年の生まれですから、41歳の録音です。一方こちらの録音は25歳のときの録音となりますが、すでに18歳の時に全ソビエト音楽コンクール金賞受賞していますから突出した才能があったということでしょう。そして、この録音の2年前の1950年にはプラハ国際チェロ・コンクールで第1位となっていました。
最初の商業録音となったものですが、大御所ターリヒとの手合わせにロストロポーヴィチは奥せず対峙しています。この録音については、自らも明かしているように、ここでのロストロポーヴィチの演奏は、ターリヒの作品解釈に強く影響を受けていて、つまり、ターリヒのそれと一体となって、「ドヴォルザーク直系の遺産」でもあり、さらに、ロストロポーヴィチはこの録音がどれほど特別なものであるかを、次のように語っています。
{{{このレコードがリリースされてしばらくして、わたしのもとに友人のスヴャトスラフ・リヒテルから電話がかかってきた。リヒテルは、『ちょうど今、ターリヒとの録音を聴いたところで、まさにこれが天才の作品だと分かったよ!』と言った。リヒテルは熱狂していた。私は、このドヴォルザークのチェロ協奏曲の録音がわたしのベストだと思っている。たとえ後でほかに何度も録音したとしても、私にとっての最高を意味するのはひとつだということだ。生涯を通じて私はヴァーツラフ・ターリヒが教えてくれたことに対して忠実であり続けている。}}}
後にロストロポーヴィチは小澤征爾との録音が最高で、もうこれ以上の録音はしない」と語っていますが、まあ、この演奏を聴けばその言葉が社交辞令に聞こえます。
録音はモノラルですが、モノラル末期ということもあり非常に聴きやすい音です。
スラヴ舞曲の方は協奏曲の2年前の録音です。ここではOp.46しか収録されていませんが、Op,72の方も録音しています。ターリッヒの解釈は一見淡々としているように見えますが、その素朴さの中の旋律線の扱いが、メロディを慈しむような絶妙なアクセントで処理していきます。概して遅めのテンポです。個人的には一番好きな演奏は全曲は録音していませんがケルテスの演奏です。
たった2年の差ですが、こちらの録音はあまり冴えません。それだけが少々残念ですが、ドヴォルザークの演奏の原点という意味では一度は聴いておいて損のないものでしょう。