ラウテンバッハーのヴィオッティ
曲目/ヴィオッティ
1.ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調
2.ピアノとヴァイオリンのための2重協奏曲イ長調
ヴァイオリン/スザンネ・ラウテンバッハー
ピアノ/マルティン・ガリング
指揮/カール・アウグスト・ビュンテ
演奏/ベルリン交響楽団
録音/1966
日本コロムビア MS-1087-VX 米VOX turnabout TV34229
日本コロムビアから発売されていた廉価版の元祖とでもいうべき「ダイヤモンド1000シリーズ」の中の一枚です。当時こんな珍品レコードがで発売されていたのです。多分この録音はCD化されていないと思われます。ヴィオッティは1775年の生まれですから2005年は生誕250だったのですが、取り上げられることもなく、音楽史の中に埋もれてしまって評価されなかったですねぇ。
今回、このレコードを取り上げるに当たって、このブログを始めた当初の目的、手持ちのレコードを今一度聴き直すという趣旨に鑑みて、書庫を刷新しました。スタートはやはりクラシックの廉価盤だったということもあり、それ専用の書庫を設けました。これがその最初の一枚となります。
さて、このヴァイオリン協奏曲第22番は彼の作曲した29曲のヴァイオリン協奏曲の中では唯一録音に恵まれている曲です。
主調による和音の全奏による短い序奏に続いてすぐ、第1主題が始まります。この主題が大変魅力的で、その昔FM放送が開始された当初、地元のFM愛知の中部電力が提供する番組のテーマ曲として毎週流れていましたので毎週耳にしていました。当時はレコードといえばカタログにはこのテーマでも使われた、アッカルドの演奏するコンポンパーニ指揮、ローマ・フィルハーモニー管弦楽団の物しか載っていませんでした。記憶が正しければ、この録音はアッカルドのデビュー盤のはずです。
そんな中で、コロムビアのダイヤモンド1000シリーズで突然この曲が発売されたのです。貧乏学生でしたので、すぐこのレコードに飛びつきました。どちらかと言うとアッカルドの演奏は明るい音色で華があってそれに刷り込まれていたので、このラウテンバッハーの演奏を聴いて最初は失望しました。
しかし、毎日のように聴き込むと、この少し哀愁のあるひなびた音色が耳になじんでくるのです。決してきらびやかな音色ではないのですが、しっとりとした暖かく艶のある響きがステレオ装置から湧き出るように流れてきます。
第1楽章の親しみのあるイタリアン・カンタービレは秀演です。くっきりとラウテンバッハーのヴァイオリンがクローズアップされ、オケは寄り添うように奏でています。良いバランスの録音です。
第3楽章はロンド形式になっています。こちらは明るい軽やかな踊り出したくなるようなメロディが最初から顔を出します。どことなくメンデルスゾーンの「イタリア交響曲」を思い起こさせる親しみのある旋律です。ちょっと第1楽章に冗長な部分がありその辺りが今イチメジャーになれないところでしょうが佳曲です。
2曲目の二重協奏曲は多分これレコードが唯一の録音だと思われます。ちょっと変わった構成の曲で楽章は二つしかありません。ソナタ形式の第1楽章とロンド形式の第2楽章です。
この曲もオーケストラによる和音の提示の後すぐ主題が始まります。しかし、この曲で独奏楽器が登場するのは第2主題の定時が終わった後です。まずピアノがそしてヴァイオリンが登場し第1主題を奏でます。ここで、ピアノを弾いているマルティン・がリングは個人的にはチェンバロ奏者として認識していたので意外でした。技巧的には難しくない曲のようで、カデンツァ部分の二人が楽しみながら演奏している様が目の前に浮かびます。
このレコードについては当時発売されていたラジオ技術社の「ステレオ芸術」で録音も優秀という評価がされていてそれも購入の後押しになりました。でも、実際は優秀録音ではなく単なる雑誌の誤植であった事が後で分かりました。
米VOX turnabout TV34229のジャケット
録音はVOXの平均的な物で、可もなし不可もなしといったところです。でも、ラウテンバッハーのヴァイオリンの音は余すところなく捉えられていて非常に魅力的です。指揮者のカール・アウグスト・ビュンテ(1925~2018)はベルリンで生まれ、チェリビダッケなどに師事しています。ビュンテは、1949年から1967年までベルリン交響楽団(Berliner Symphonisches Orchester)の首席指揮者でした。このオーケストラがドイツ交響楽団と合併してベルリン交響楽団(Symphonischen Orchesters Berlin)になったことで、1967年から1973年までこの新生ベルリン交響楽団の首席指揮者でもありました。このオーケストラを中心に活躍しながら、教職に力を入れ、ベルリン芸術大学教授、東京芸術大学音楽学部指揮科客員教授として活躍、名誉教授の称号も獲得しています。一時期は来日して日本のオケを振ったりしていて、関西フィルとはベートーヴェンの第九の録音を残しています。