パウル・ファン・ケンペンのハンガリー舞曲
曲目/ブラームス
1.ハンガリー舞曲第5番ト長調
2.ハンガリー舞曲第6番ニ長調
指揮/パウル・ファン・ケンペン
演奏/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952
P:フレット・ハメル
E:アルフレッド・ステインク
日本グラモフォン DX−20
これも17㎝のシングル盤です。シングル盤ですが価格は450円となっていますから多分1970年前後でしょう。面白いことにジャケットはビニールカバーと一体型になっていて内側までコーティングされています。そのため、内袋がありません。またねジャケットのどこにもモノラルの表示がありません。今でこそ、県ペンの録音はステレオでは残されていないことがわかっていますが、当時は分からなかったんでしょうなぁ。
ケンペンはオランダの南ホラント州ライデンに生まれる。アムステルダム音楽院でユリウス・レントゲン、ベルナルド・ズヴェールスに作曲および指揮を、ルイ・ツィンマーマンにヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリニストとして音楽キャリアをスタートさせています。1932年にドイツ国籍を取得、1933年に指揮者としてデビューする。1934年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任し、1942年から1944年までヘルベルト・フォン・カラヤンの後任としてアーヘン市立歌劇場の音楽監督を務めた。第二次大戦後、活動の場を故国に移しましたが、戦時中のナチス政権とのかかわりが問題視され、追放されます。1949年より、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となりましたが、1955年12月、アムステルダムにて他界しています。
レコード時代はケンペンについての情報は少なく、よく、ルドルフ・ケンペと混同したものです。このレコードも購入した記憶がないので父親の実家にあったものでしょう。
ケンペンの演奏は今聴くと極めてオーソドックスなもので、まだカラヤンの登場しないグラモフォンでは貴重な指揮者だったのでしょう。フルトヴェングラー統治下のベルリンフィルですが、こういう商品は録音しなかったですからねぇ。その穴埋め的に制作されたものかもしれませんが、録音は優秀で聴きやすさもあり、RCAのトスカニーニに対抗できる出来栄えだったと思われます。
第5番はアップテンポでさらっと流していきます。特徴があるようで無いという極めてオーソドックスな演奏です。ためもほとんどなくあっさりとしたものですが、ベルリンフィルのアンサンブルが秀逸でとても聴きやすい演奏になっています。
第6番の方もこれといって特徴はありません。冒頭の旋律もさらっと流していますし、ジプシー音楽の割には淡々と演奏しています。しかし、この流れの中にバッシリとした音楽が詰め込まれ、きっちりとしたアンサンブルに支えられて見事な演奏になっています。カラヤンが登場するまでのポリドール社を連印していたのがこのケンペンだということが納得できる演奏です。
憶測ですが、カラヤンがグラモフォンの専属になった時いち早くブラームスのハンガリー舞曲を録音したのは、モノラルしか残せなかったケンペンの替わりとなる録音を欲したグラモフォン社の以降が優先されたためではないでしょうか