松坂屋の歴史
松坂屋美術館の鑑賞の折に、併設されている「松坂屋資料館」で、いま「衛士・東京に置ける松坂屋ヒストリー」がこの24日まで、開催されています。
松坂屋が江戸に進出したのは1968年(明和5年)に上野広小路にあった「松坂屋」を買収して「いとう松坂屋」としてオープンします。上の写真は順調に行用をのばした18872年(安永元年)の店です。
その店内の繁盛ぶり。
3枚続きの「上野広小路正月の賑ひ」歌川国芳
安政二年の大地震で店は倒壊してしまいますが、直ぐに仮店舗での営業を再開し、その間に名古屋で新店用の木材を加工してどこよりも早く新店舗で営業を再開しています。この際、チラシを5万5千枚配り、3日館で3千両の売り上げをあげたといいます。
幕末には上野店が政府軍の本営になり、一体が焼け野原になりながら松坂屋は焼けずに残っています。
寛永寺の中堂を初め、赤く囲まれた部分が焼け跡です。松坂屋の隣までは焼けています。
明治15年には鉄道馬車が開通し、翌16年には上野ー熊谷間の開通し、上野駅も開業しています。
ウインドー陳列を取り入れた店内
上野店の営業案内
明治40年洋風建築に改装された上野店
1923年関東大震災により全焼
震災後いち早く池之端に仮店舗を設けて営業
罹災者に麦湯を配る社員
この時代まだまだ錦絵が人気でした。
昭和5年地下鉄銀座線上野広小路駅と直結した松坂屋。日本初です。
地下鉄値よっ決を告知する新聞広告
銀座店が現在地に開店。デパート業界初の全館土足入場を実施。
昭和8年には浅草雷門を建立して寄進。
1929年に日本で初めて「エレベーターガール」を採用した松坂屋上野店。
1929年落成した松坂屋上野店
初代ゴジラに教われた松坂屋
ゴジラに教われる松坂屋
松坂屋は、1964年の東京オリンピックでは平常時のブレザーを受注していました。赤と白の公式ブレザーは山梨県鰍沢出身の服飾デザイナーであったと望月靖之氏で、全国のテーラーに発注したまさしくテーラーメードの一品でした。