堀 川 展
〜かくれ遺産と昭和の風景〜
2月4日から2月9日まで名古屋市民ギャラリー栄え7Fで開催されていた「堀川展〜かくれ遺産と昭和の風景〜」という企画展に出かけました。
江戸時代、名古屋城建設のために開削された運河が「堀川」です。小生の住んでいる近くにはこの堀川につながる黒川が流れています。そんなことで割と親しみがあります。この今につながる堀川の歴史を辿る企画展がこの催しでした。
堀川は慶長15年の名古屋城築城に合わせて徳川家康の命により、福島正則が開削したと伝えられています。当時は名古屋城西の幅下と熱田の宮の渡しと輪結ぶ延長約6kmの川でした。その後、上流部の黒川の開削や御用水街路なども設けられ、名古屋の水運の大動脈として木曾木材の物流を支える発展の元となりました。
しかし、伊勢湾台風で大量の材木が流出して大惨事になったこともあり、堀川の役目が変化を余儀なくされ、やがては死せる川として放置された時期もありました。小生の子供の頃は臭いどぶ川のような存在で、とても近寄れたものではありませんでした。現在では、ずいぶんと川の浄化が進みきれいになってきています。
白鳥貯木場
堀川にまつわる初めて目にする珍しい写真の数々が展示されて忌ました。
重松閘門
中川運河につながるこの閘門は昭和43年に廃止されています。しかし、この閘門今は歴史遺産として保存されているだけですが、将来的には中川運河と繋いで、本来の閘門として復活するという話も聞いています。将来は観光遊覧船が行き来するそうです。本当に復活するなら楽しみです。
瀬戸物の積み出し-堀川(幅下)
こちらが現在の堀川の概略図。現在でも、名古屋港から猿投橋の落差工(段差)までは、潮の満干の影響を受ける感潮区間となっています。ここは黒川よりももっと上流部で、庄庄内川から黒川(堀川)へ用水を引くために設けた黒川樋門のすぐ近くです。潮の満ち引きはすごいですなぁ。