ドナルド・キーンの東京下町日記
日記とは不思議なものである。あくまでも個人的な備忘録であり、内面の告白でもある。すすんで人に見せるものではない。だが、記録すれば、いつかは誰かの目に触れる(本書より)。日記文学研究者の最初で最後の日記!---データベース---
日本文学を愛し、日本文化を愛し、何より日本人を愛したキーンさんは、2019年2月24日に永眠しました。日本国籍を取得して7か月後の12年1月に始まった新聞連載「ドナルド・キーンの東京下町日記」は、日記文学研究でも高い 評価を得ながら、自身は日記を書いてこなかったというキーンさんの最初の日記であり、最後の新聞連載著作でした。
アメリカで生まれ、偶然手にした『源氏物語』で日本文学と出会い、戦争で日本とかかわるようになったいきさつや、三島由紀夫、谷崎潤一郎、安部公房、司馬遼太郎ら著名作家との秘話、戦争と平和についてなど、話題は多岐にわたる。「外国人の時は遠慮したが、もう日本人だから言いたいことを言う」と、現代日本人への手厳しい苦言を呈した回も何度かあります。
そんなキーンさんが遺してくれた言葉たちがここにし綴られていますが、ありのままの原稿で編集されていますから、任度となく同じような話が登場します。そして、最後は律儀なキーンさんらしく、生前に残した原稿が死後掲載されたものまで収録されていますし、さらには連載担当記者が接したキーンさんの姿、エピソードをまとめた評伝「人ドナルド・キーン」も巻末に収録されています。
ドナルド・キーンさんが日本に帰化するようになったきっかけは、米ニューヨークのタイムズスクエアでふらりと書店に入り、目についたのがアーサー・ウエーリ訳の『源氏物語』。それを買って読み文学に夢中になります。まさに本がきっかけで日本という国を知る訳です。それを契機に、日本の平安時代~鎌倉時代~室町時代~安土桃山時代~江戸時代~明治時代~大正時代~昭和時代~平成時代から令和時代と日本の文学に取りつかれ、あらゆる日本文学を読み研究するようになります。それと同時に日本とアメリカを行き来する中で、大正時代~昭和時代の日本の作家とも親しく付き合うようになります。
彼は第2次大戦中は、日本語がはなせたということで海軍語学仕官と言う立場で、アリューシャン列島のアッツ島やら沖縄にも行っています作中でいろいろ感想を述べていますが、平和市柚木車だった氏は広島&長崎に原爆を落とし10万人を超える市民が放射能の犠牲になった事に対しては極めて批判的である。
そんなことで、改憲を押し進めている安倍政権の考えには反対が多く、特に「憲法9条の行く末」には反対しています。また、今年開催される東京オリンピック報道に違和感を持っていて、復興オリンピックという名前だけのイベントより、2011年に起きた東日本大震災(福島原発)への対応が遅く、多くの被害者が未だに避難生活を続けている現状を嘆いています。オリンピック競技条件説が優先され、復興がおろそかになっているのにマスコミも、批判する矛先を封じているかのように復興関連のニュースは報じていないことを憂いています。
原発の恐ろしさは、福島第2原発の処理が後100年以上もかかるというのに再稼働を押し進めている政府に落胆しています。しかも、事故後約8千人の全町民が非難した双葉町には、今も6千人ほどが戻れていないという現状があります。
キーンさんの日記には戦中の記事も多々あります。その中で、士官としての立場でできることは、いろいろて輪尽くされているのがわかります。ハワイの捕虜収容所では、音楽が聴きたい人のために、手動式の蓄音機を持ち込んで、ベートーヴェンの「英雄」を聴かせた話とか、その日本兵とは、戦争終了後は日本で再会し末永くお付き合いをした問い右派な下出できます。
キーンさんは日本の文学作品を英訳して世界に紹介し、我々も知らない古浄瑠璃を復活上演させるとか、様々な活動をしてこられました。地元愛知の渡辺華山の研究をしておられたとはついぞ知りませんでした。これは一度読んでみたいものです。
日本人よりも、日本を愛してくれたドナルド・キーンさん、是非一読をお薦め致します。