名古屋音楽大学
第43回オーケストラ定期演奏会
曲目
M.ムソルグスキー 交響詩《はげ山の一夜》原典版
P.チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 op.23
H.ベルリオーズ 幻想交響曲
ピアノ/中川朋子
指揮/松本宗利音(マツモト シューリヒト)
愛知県芸術劇場コンサートホール
今年は指揮者にこの4月に札幌交響楽団の指揮者に就任した松本宗利音氏が登場するとあって期待して出かけました。1993年11月大阪生まれの25歳。世界的指揮者であるカール・シューリヒト氏の御夫人から直接名付けられた宗利音(シュウリヒト)という名前に導かれたかのように幼少時より音楽に親しみ、東京藝術大学音楽学部指揮科を卒業。2017年4月より2年間東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員として研鑽を重ね、2019年3月の團伊玖磨のオペラ「夕鶴」ロシア公演に副指揮者として参加して日露文化交流に大きな役割を果たすなど頭角を現し、2019年4月より札幌交響楽団の指揮者に就任した新進気鋭の指揮者です。また2015年の東京国際音楽コンクールで2位になった太田弦氏は大阪交響楽団の指揮者に就任したいうことで、若手の台頭が目立ちます。
今回のコンサートの冒頭を飾るのはムソルグスキーの交響詩「禿山の一夜」の原典版です。普段我々が耳にするのはリムイキー・コルサコフの編曲した版ですからこれは珍してと言えます。もっとも、この版近年クラウディオ・アバドが好んで取り上げた版で有名になりました。ムソルグスキー自身によるオリジナル(「はげ山のヨハネ祭の夜」)とで、聴き比べができることです。前者の華麗さは余りによく知られていますが、後者も大胆な打楽器の用法など、おどろおどろしさではむしろ上を行く痛快作で、骨太なロシア風味とインスピレーションの塊ともいうべきムソルグスキーの面目躍如といった感があります。
初めて実演を聴いたということもありますが、実はこの日一番楽しめた演奏でした。音楽としては洗練された曲ではありませんが、タイトルにふさわしい不気味さはやはり、作曲者自身の方がよく出ているような気がします。学生のオーケストラはこういう曲にはやたら興味があるようで、なかなかの力演でした。この名古屋音楽大学はパーカンションアンサンブルが優秀で、毎年2月に行われるコンサートは聴きに行くのですが、ここでも打楽器が大活躍で、普段聞きなれたリムスキー・コルサコフの音楽とはひと味もふた味も違う楽しさを満喫できました。当然、指揮者の力量も感じられるもので、馬力のある指揮でキビキビとした音楽にまとめていました。
2曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番でした。しかし、この演奏はテンポが遅くどうもピアノの伴奏になりきってしまっている演奏でスケール感があまり感じられなかった点が残念です。
後半はベルリオーズの「幻想交響曲」でした。今年はベルリオーズの記念イヤーということでこの半年に3書いコンサートで聴くことができました。ただ、その中では一番残念な演奏で、特にホルンセクションが今年はミスの目立つ残念なレベルで、音が安定しない上にややバランスを欠いた音量でベルリオーズの響きを台無しにしていました。オーケストラも金環の編成に比べて弦セクションが少ないという構成であったがために低音部の音量が不足していて、特に後半の2楽章は金管の咆哮にかき消される場面もありました。
この曲では第3楽章で舞台上のイングリッシュホルンと舞台裏のオーボエの掛け合いが注目されますが、今回のオーボエはオーケストラ後方のオルガン左横あたりでの演奏で空間的な広がりはややかける響きになっていました。また、第5楽章の鐘の音は今度は右横で、こちらも直接鐘の音が舞台上でこだまするように鳴らされ、弱音が弱音のデリカシーに欠ける響きとなってしまいました。こう勘案すると、名フィルのように舞台袖の奥から響く演出は理にかなったものであったことがよく理解できます。
指揮者の松本宗利音氏はダイナミックな指揮でオーケストラを鼓舞していましたが、いかんせん今年のオーケストラのレベルではそれに十分応えきれていなかったのが残念でした。氏はプログラムの楽曲に全てを集中していたのでしょう。こういうコンサートでは珍しくアンコールがありませでした。