ベートーヴェン捏造
-名プロデューサーは嘘をつく-
ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく
著者/かげはら 史帆
出版/柏書房
「運命」は、つくれる。犯人は、誰よりもベートーヴェンに忠義を尽くした男だった──音楽史上最大のスキャンダル「会話帳改竄事件」の全貌に迫る歴史ノンフィクション。---データベース---
来年はベートーヴェンの生誕250年の年です。世界的規模で「Beethoven 2020」が計画され、日本では「トリトン・アーツ・ネットワーク」が始動しています。また、ワーナーからはCD100枚組からなるボックスセットも企画されていますし、ユニヴァーサルはそれを上回る118枚組のセットを予定しています。ただ、こちらはベートーヴェンの交響曲全集を3セットも盛り込むという馬鹿げた企画になっています。
そんな賑々しい世の中の流れの中で、この一冊が話題になっています。タイトルに驚かされますが、ベートーヴェンの弟子としての「シンドラー」なる人物は今まで殆ど気にもとめていませんでした。この本ではこのシンドラーが主役で、肝心のベートーヴェンは脇役でしかありません。そして、その殆どがベートーヴェンの晩年からの物語になり、ひいてはその死後の顛末をめぐるドキュメンタリーになっています。
もともとこの本きっかけは、作者が2007年に書いた修士論文「語られるベートーヴェン 会話帳から辿る偉人像の造形」を、ライトノベル風に書き直したもの、ということが言えます。冒頭はやや話にのめり込めない形でスタートしています。そもそも、一般にはシンドラーとは何者?という認識しかないでしょう。そんなことでこの本にはイントロダクションが用意されています。まあ、これを読めばこの本の大体の骨子が分かろうというものです。以下この本の出版元である柏書房のHPからの引用です。
{{{【イントロダクション】
「事件」が発覚したのは、1977年――ベートーヴェン没後150年のアニヴァーサリー・イヤー。
震源地は、東ドイツの人民議会会議場で開催された「国際ベートーヴェン学会」。
ふたりの女性研究者が、ベートーヴェンの「会話帳」――聴覚を失ったベートーヴェンがコミュニケーションを取るために使っていた筆談用のノート――に関する衝撃的な発表を行った。
会話帳に、ベートーヴェンの死後、故意に言葉が書き足されている形跡を発見したという。
犯人は、ベートーヴェンの秘書、アントン・フェリックス・シンドラー。
ベートーヴェンにもっとも献身的に仕えた「無給の秘書」として知られた人物である。
ベートーヴェン亡きあとは全部で3バージョンの伝記を書き、後年の──あるいは現代における「楽聖べートーヴェン」のパブリックイメージに大きな影響を及ぼしていた。
たとえば、ベートーヴェンが『交響曲第5番』冒頭の「ジャジャジャジャーン」というモチーフについて「運命はこのように扉を叩くのだ」と述べたという有名なエピソードは、シンドラーの伝記を介して世に広められたものだ。
そんな人物が、会話帳の改竄に手を染めていたとなれば。
それはベートーヴェン像の崩壊に等しかった。
以降、シンドラーは音楽史上最悪のペテン師として、研究者や音楽ファンから袋叩きに遭うことになる。
だが、彼をいたずらに非難することは本当に正しいのだろうか。
シンドラーのまなざしに憑依する──つまりは「犯人目線」で事件の全貌を追うことによって、いまいちど、彼が「嘘」をついた真の動機を明らかにすべきなのではないだろうか。
生い立ち、学生時代の行状、ベートーヴェンとの関係。
ベートーヴェンの死後、会話帳改竄に至るまでの経緯。
罪を犯したあと、どうやってそれを隠しとおしたのか。
そして、100年以上にわたってどのように人びとをだまし続けたか。
それらを知らずして、音楽史上最大のスキャンダル「会話帳改竄事件」の真相に迫ることはできない。
音楽史上最悪のペテン師を召喚し、彼が見た19世紀の音楽業界を描き起こす前代未聞の歴史ノンフィクション
――ここに開幕。}}}
こうして、この歴史ドキュメントは幕を開けます。この本の構成です。
【目次】
序曲 発覚
おもな登場人
第一幕 現実
第一場 世界のどこにでもあるド田舎
第二場 会議は踊る、されど捕まる
第三場 虫けらはフロイデを歌えるか
第四場 盗人疑惑をかけられて
第五場 鳴りやまぬ喝采
間奏曲 そして本当に盗人になった
バックステージⅠ 二百年前のSNS―会話帳から見える日常生活―
第二幕 嘘
第一場 騙るに堕ちる
第二場 プロデューサーズ・バトル
第三場 嘘vs嘘の抗争
第四場 最後の刺客
バックステージⅡ メイキング・オブ・『ベートーヴェン捏造』―現実と噓のオセロ・ゲーム―
終曲 未来
あとがき
「楽聖」「史上最高の音楽家」「耳が聞こえないハンディを乗り超えて不滅の名曲を遺した大作曲家」…。ベートーヴェンの一般的なイメージはこんな感じに集約されるでしょう。昔、学校の音楽室に飾られていた肖像画もそんな感じを印象付けます。そして、ベートーヴェン最大の悲劇は耳が聞こえなくなったということです。音楽家としては致命的です。でも、ここが偉大なところで、自殺まで考えたハイリゲンシュタットの遺書騒動の後に、傑作の森と言われるベートーヴェンの実りの時代が訪れます。そして、それを支えたのがコミュニケーション手段としての「会話帳」です。
この会話帳こそが、この本のテーマであり、ここに関わってくるのが「アントン・シンドラー」なる人物なのです。1822年、晩年のベートーヴェンと出会い、「押しかけ女房」のように近づき、「無給秘書」として崇拝する師の生涯最後の日まで献身的に奉仕します。この会話帳、ベートーヴェンの言葉は殆ど記録されていません。こちらが問いかける言葉が記録されていて、肝心のベートーヴェンの言葉は声としてその場で消えてしまっているからです。ですから脈絡はありません。一つの話題からすぐに別の話題に飛んでしまいます。それでも、テープも何もない時代ですから残っていることが奇跡です。そこには、音楽論はもちろんのこと、日常の他愛ないやり取りから、他人には知られたくない秘密を示唆するものまで、ありとあらゆる言葉がなぐり書きされている。そしてベートーヴェンのイメージダウンになるような事柄も書き込まれていました。
そして、この「会話帳」をシンドラーが管理していたのです。遺言でベートーヴェンの自伝はもう一人の弟子であったボン時代の友人、フェルディナント・リースに託されます。彼は、最初のベートーヴェン伝となる回想録「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」を執筆したことで知られています。
しかし、シンドラーは敬愛する師匠のイメージを守るために証拠隠滅を思いつきます。「アブナイ真実」に触れる相当量の「会話帳」を焼却し、残った分についてはシンドラー自身にとって都合のいいようにつじつまを合わせるために「改竄」していくのです。小生たちが学校で習った時代のベートーヴェン像は、そう、このシンドラーが改ざんしたベートーヴェン像によって組み立てられていたのです。「運命はかくの如く戸を叩く」とか、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなどはこのシンドラーの改竄の産物だったのです。
登場人物が多く、理解をしながら読み進めるにはなかなか骨が折れますが、こういう人物がベートーヴェンの周りにいたという事実を知るには格好の書です。
ついてですが、ベートーヴェンと同時代に活躍したリストとの関わりも、この書では触れられています。ボンにベートーヴェンの銅像が立つシーンなんですが、ここも興味深いところでした。