ダニエル先生ヤマガタ体験記
著者 カール・ダニエル
出版 実業之日本社

「ンダ、ンダ」の山形弁に度肝を抜かれたダニエル先生。そもそも事の発端は、幼き日黒い瞳に一目惚れ。日本への興味捨てがたく、高校・大学時代は奈良・大阪へと留学。就職先も日本に行くぞと大決心。着いた所が山形県。風土と人情に接してますます高じる日本好き。大和撫子を娶って上京し、今やTV・映画で大活躍。ユーモラスな筆使いがいよいよ冴える。---データベース---
現在は単行本は絶版になっていますが、集英社からは文庫本化されて出版されているようです。1990年代には山形弁を話す外国人としてよくテレビで見かけましたから、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。この当時は日本語を話す外タレを特集した番組がよく放送されていました。チャック・ウィルソンやケント・ギルバート、ディープ・スペクター、ケント・デリカットなどは当時のブームの中で活躍の場を広げていきましたが、そういうきっかけを作ったのがこのダニエル・カール氏です。
山形弁を話す外国人タレントとして当時から異色の存在でしたが、お決まりと言ってはなんですが、アメリカ人の英語指導主事助手という立場での来日でした。テレビではドイツ系のタレントという触れ込みでしたが、実際は生粋のカルフォルニア生まれのアメリカ人で、小学校の時にクラスに日経の女の子がいてその彼女に一目惚れして日本史が好きになり、学生時代に奈良の智弁楽員、大学時代には大阪外後大学に留学経験があったそうです。それで、1981年の大学卒業時に上記の文部省が募集した英語指導主事助手に応募したそうです。
ただ、この試験には不合格で、海外協力隊のメンバーとしてザンビア行きが決まっていたそうですが、たまたま欠員が出たということで繰り上げで日本に来ることができたようです。何が人生の転換点になるか分からないものです。
こうして赴任したのが山形県、というわけで最初から山形弁を話したわけではないことは明らかです。どちらかといえば関西弁の方が留学経験からいって得意だったはずですからね。ただ、ここで研究熱心なのは、山形弁にもいろいろな方言があり地区地区によって言葉が違うということを知ります。当時の所属は山形県庁ですが、そこは方言の坩堝でした。で、冒頭の「んだ、んだ」という言葉を知ることになります。まあ、辞書には「ん」で始まる言葉なぞ載っていませんからこれはびっくりしますわな。

来日人は所持金3万円しかなく、そのうち2万円が家賃に消え、1000円はタオルケット代に消え、残り9,000円で3週間を食いつなぐという生活も経験しています。当時は山形県には外国人は9人しか住んでいなくて、ダニエル以外は全員宣教師ということでした。ですからどうしても目立ちますわな。ですから、この本には様々なエピソードがちりばめられています。もちろん恋愛話も含まれていますが、当時の日本の風習では結婚前の男女がデートするだけで目立つ時代ですし、ましてやアメリカ人ですからすぐに噂に登ります。三度の付き合い禁止令をかい潜っての結婚に至る話は涙ぐましいものがあります。
英語教育についての彼なりの指導方法も盛り込まれていて、通り一遍の暗記型英語の指導に一石を投じでいます。
そうそう、文庫本化にあたっては新たな書き下ろしも付け加えられているということです。