ドラティのハイドン「朝・昼・晩」
ハイドン
交響曲第6番ニ長調「朝」5:47,8:01,4:40,4:50
交響曲第7番ハ長調「昼」7:39,8:31,3:33,3:56
交響曲第8番ト長調「晩」5:25,8:06,4:398,5:22
指揮/アンタル・ドラティ
演奏/フィルハーモニア・フンガリカ
<violin>Evan Ramor u,Jiri Gerlach
<cello>Zoltan Thirring
<contrabas>Bela Lorant
<fagot>Laszlo Beranyai
DECCA 421 627-2
P:Jジェームス・マリンソン
E:コリン・ムーアフット,ケネス・ウィルキンソン
録音1972/06,08*
聖ボニファティウス教会,マール,ドイツ

ドラティは史上初めてハイドンの交響曲全集を録音したがこれはその中の一枚です。レコード時代は唯一のハイドンの交響曲全集でしたが、今では幾多のボックスセットが市場には出回っています。その中でも、やはり個人的にはこのドラティのハイドンは愛着があります。これは結構古いCDで、1990年頃に発売されたものです。「Weekend Classics」は主にアメリカデッカが発売したシリーズですが、プレスはドイツのハノーファーで行われていました。ジャケットもドイツで製作されており、表記はドイツ語になっています。この頃のハノーファー製のCDは全面アルミ蒸着仕様でキンキラ金に輝いています。
取り上げる3曲は、ニックネーム付きの交響曲が多いハイドンの作品の中でも最も若い番号の作品です。そして、交響曲の形は採っているのですが独奏楽器の活躍が多い協奏交響曲の形を採っているのもこの作品群の特徴でしょう。朝は独奏ヴァイオリンが活躍し、昼ではヴァイオリン、チェロ、コントラバスが、そして晩ではこれらの弦楽器に加えてファゴットも活躍します。
自筆楽譜が現存しているのは「昼」と題された第7番のみですが、ここから作曲年代が特定され、これら3部作がエステルハージィ公爵家の副楽長に就任した年に書かれ、尚かつ一日の時を表す標題も公爵の着想によるものだといいます。この公爵家のオーケストラは技術レベルが高かったために、独奏楽器が活躍する協奏交響曲形式を採ったものだとされています。
さて「朝」は朝の日の出を思わせるアダージョで開始されます。それに続くアレグロは、主婦が忙しく朝食の準備をしている様がフルートとオーボエ木管群によってユーモラスに語られます。ドラティ盤は現在のようなピリオド奏法ではありませんが、通奏低音にチェンバロを加えバロック形式での演奏を披露していて様式感はとれています。1969年から始まったこの録音プロジェクトは72年が最後の年ですから、そういう意味ではアンサンブルも非常にまとまっていてエステルハージ公爵家のオーケストラの名手に引けを取らない演奏で安心して聴くことが出来ます。
独奏ヴァイオリンの活躍する第2楽章は厳かながら楽しい朝の食事の様子を想像することが出来ます。オペラのレチタティーヴォのように活躍するヴァイオリンとチェンバロの掛け合いが印象的な楽章です。第3楽章はメヌエット形式でトリオの部分で奏されるファゴットとチェロの主題が印象的であるこの楽章は、さしずめ仕事場に出かける風景とでも言えるでしょうか。終楽章はアレグロで一日の労働の始まりを快活なメロディで描き出しています。ドラティは通常のオーケストラ曲ではかなりダイナミックな演出をほどこしますが、ここでは全体のハーモニーを重視した、穏やかな表情付けをしています。デッカのセッション録音は優秀で低弦の音も充分拾っているので小編成のオーケストラでも充分な響きを再現してくれています。この録音を聴いたあとではフィッシャー/ハンガリー・ハイドン管弦楽団の演奏はやや痩せ細って聴こえてしまうので損をしています。
「昼」はさながら合奏協奏曲のようなヴァイオリン、チェロ、コントラバスが活躍します。この曲では木管群がやや奥めの音像で、エコーがかかりすぎているのが少々気になります。本来5楽章で構成されている曲ですが、大体どのレコーディングもつづく第2楽章は現在では第3楽章の一部と見なされ続けて演奏されるようです。ランドン版を採用しているドラティ盤もしかりで、この楽章の特徴は後半は弦楽二重奏のような構成でカデンツァが織り込まれています。第3楽章はさながらコントラバス協奏曲の体をしていて個人的には楽しめます。第4楽章は2挺の独奏ヴァイオリンが活躍します。活動的な「昼」に相応しい明るい楽章で、ここにホルンが加わりさながら貴族の狩りの遊びを描写しているようで華やかな演奏が繰り広げられます。
「晩」は「夜」ではありません。一説によると「夜 La Nuit」もあったとする説もあるようですが不詳です。(個人的には存在しても弦楽四重奏のような形で交響曲の形は採らなかったのではと思います)。さて、この「晩」は面白いことに第4楽章だけに「嵐」という標題が付いています。第2楽章は家族そろっての晩餐の面持ちの楽章で朝のそれと対比できて面白いところです。ここではファゴットがヴァイオリンと絡んで厳粛な趣の仕上がりを形作っています。第3楽章は食後の家族の団欒のようなメヌエットです。一日の出来事を談笑している様が目に浮かび、トリオ部分での独奏コントラバスが家長としての父親の話し声にも聴こえて微笑ましい構成です。さて「嵐」の第4楽章ですが、にわか雨の降り出しとともに遠くで雷鳴が光り慌ただしく窓を閉めたり戸締まりをしたりという様が目に浮かびます。当時としてはティンパニは存在しないので制限された中での描写はいささか我々の耳には迫力のほどは感じないのですが、あくまでも個人の視点から「嵐」を描いており激しい雷雨というシーンにはなっていませんが、描写音楽の得意なハイドンが自信を持って書いたものでしょう。ドラティはそんな楽譜を丁寧に音に再現しており緊張感あふれる演奏で締めくくっています。
初期の交響曲の中では比較的演奏される機会が多い作品でマリナーやアーノンクールなども単独で取り上げていますが、このドラティの演奏は全集録音を成し遂げた曲目の中でも傑出した出来映えのディスクで、小生も頻繁にひっばり出して聴いている一枚です。