名鉄沿線ディープなふしぎ発見 | geezenstacの森

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名鉄沿線ディープなふしぎ発見

監修 小林 克己 
出版 実業之日本社 (じっぴコンパクト新書)

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明治村が誕生したきっかけは拘置所のレンガだった!? 

ふだんなにげなく見ている駅や沿線風景に
謎や不思議がこんなにあった! 

「名古屋城の町割が西へずれている理由とは?」
「三河線の敷設に尽力したのは日本最初のバーのオーナーだった?」
「高校生にサービスしすぎで廃線になった路線がある?」
「名鉄自動車学校はかつて○○だった! 」
「笠松競馬場はなぜ中に畑や墓地があるのか?」
「岡崎市内の旧道が曲がり角だらけなのはなぜ?」
「かつて豊田線を走っていた驚きの特別電車とは?」
「何も走っていない謎の高架橋がある」
「不思議な駅名『前後』の由来とは?」
……など名鉄沿線に数多くある謎や不思議の理由をひもとくと、
そこに見えてくる意外な真実や納得のエピソード。
ふだんなにげなく見ている駅や沿線風景にもっと愛着が湧いてくる。

見つけよう! 見慣れた駅や風景に隠された意外な謎---データベース---

 親戚の叔父が名鉄で働いていたこともあり、物心着くまで名古屋市民としては国鉄とは縁がありませんでした。記憶では高校生までは乗ったことがありません。大学時代に飯田線に乗り新城方面で合宿をしたことがあり、その時利用したのが初めてでしょう。その後は、夜行で東京までレコードを買い出しに行っていましたけどね。それ以外は愛知県内はどこへ出かける時でも名鉄を使っていました。そうそう、電車にトイレが付いているのは国鉄(JR)で初めて知りました。そう、名鉄には通常の視野利用にはトイレなぞ付いていないんですよね。今は無くなった「高山号」にはあったようですけど・・・

 この本は実業之日本社のいろいろな謎や不思議を取り上げる「じっぴコンパクト新書」の中の一冊で、2018年7月に出版された物です。以下の構成になっています。
 
【目次紹介】
第1章 名鉄路線と駅の不思議
第2章 名鉄の㊙ヒストリー
第3章 地理から読みとく名鉄沿線のナゾ
第4章 名鉄沿線のディープな歴史散歩
第5章 名鉄沿線のスポットにまつわるミステリー
第6章 名鉄をとりまく地名・駅名の由来

 似たような内容で、「名鉄沿線の不思議と謎」という物が同じシリーズで2015年に発売されていましたから、内容的には一部ダブるところがありますが、こちらがディープと謳うだけに、第6章はかなり強引に名鉄沿線?と思われるところまで地名・駅名の由来を取り上げています。

 それにつけても知らなかったことが結構あって面白いです。大学時代4年間豊橋まで通っていましたが、JR(当時は国鉄)と駅を共有しているにもかかわらず、名鉄は3番線ホームだけの間借り使用で、しかも飯田線と共用している関係で本数も限られるという肩身の狭い状況でした。当時は改札もJRと共用で切符売り場だけが別という状況でした。ただ、本数と所要時間、便利性でJRよりも名鉄を使っていました。今はどうなんでしょうねぇ。そうそう、現在でも豊橋駅は名鉄の駅名標なのにJRのロゴが入っていて、肩身の狭い思いを実感します。価格的には名古屋-豊橋往復はJRと価格競争していて「なごや特割」で平日1,750円、土日1,540円でJRと価格を合わせています。ただ、所要時間はJRの快速の方がちょっとだけ早いようです。

 調べ物ついでにwikiをチェックしましたが、名鉄はいろんな企業の集合体のような存在で、なんと戦前は名古屋の市電も営業していたことがわかりました。また、現在は廃線になっていますから存在しませんが、今の鶴舞線の区間のうち八事周辺では「霊柩電車」なるものが走っていたという記述がこの本にありました。ただ、正確には名鉄とは関係ないようですが、1907(明治40)年、「飯田街道」上に愛知馬車鉄道が千種から八事まで開通し、1912(明治45)年に路面電車の開業によって、尾張電気軌道に改称されています。この路線は、一般には「八事電車」とも呼ばれ親しまれた。1929(昭和4)年には新三河鉄道の経営となり、1937(昭和12)年に名古屋市に買収されて、名古屋市電八事線となった経緯がありますが、この八事には墓地があった関係で、この八事電車に棺を積んで八事の火葬場まで運んだそうです。知りませんでした。

 名鉄は前身は「愛知馬車鉄道」で、これがのちの名古屋市電の原型なわけですが、京都に日本で初の市電が運行された2年前には「名古屋電気鉄道」に改称し、2番目の市電開業を果たしています。その後市電を名古屋市に譲渡し、自らは(旧)名古屋鉄道と称して名古屋と義父を結びます。その後、身の電気鉄道を合併し、「名岐鉄道」になり、更には東三河にあった愛知電気鉄道や東海電気鉄道なども取り込み、最終的に現在の「名鉄」になります。下はその発足同時の1935年の名鉄の路線図です。この時点では名古屋と豊橋は繋がっていなかったんですなぁ。今の地下式の名古屋駅が完成したのは1941年だそうです。

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 図では神宮から名古屋駅まで連絡線が書いてありますが、これが開通したのは1944年。つまりは終戦の前年ですな。しかし、当時は西部線と、東部線の電圧が違って直通運転ができなかったのでこういう形が取られたそうです。全線が1500Vで直通運転が叶ったのは1948年ということで戦後になってからでした。

 まあ、こういう歴史が随所に描き散りばめられていて、地元の利用者としては興味がつきません。しかし、誤記がかなり散見されます。第4章の桶狭間の古戦場の項では「中京競馬場前」を「中央競馬場前」としていたり、ここから3分の距離にあるのは「桶狭間古戦場伝説地」であり、「桶狭間古戦場公園」ではありません。ここの項の記述は全く混同していて読んでいるとこんがらがります。ちなみに実際は「中京競馬場前」から「桶狭間古戦場公園」までは直線距離でも1Km以上あり、道なりに行けば20分以上かかります。この項の記述だけは修正してもにいたいものです。