初めての「大阪旅行」 その2 | geezenstacの森

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初めての「大阪旅行」 その2

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 谷町四丁目で降りて地上に出ると右も左もわかりません。いきなり上を高速が走っています。案内表示もないので戸惑ってしまいます。名古屋なら地下鉄を降りると目線の先に名古屋城が確認できます。近くはまちがいないのですが、周りを高層ビルに囲まれていて先が見通せません。仕方なく交差点を北に戻ります。谷町3丁目の交差点まで進むと右手の先が開けていましたので多分その方向だろうと歩きます。すると道路脇に「井原西鶴終焉の地」の石碑があるではありませんか。

 碑は西鶴没後300年を記念し、平成5年(1993)9月25日(旧暦の8月10日)に西鶴文学会の手により建てられたそうです。写真はの左手の石碑には井原西鶴の辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」と書かれています。江戸が中心の時代小説にはほとんど登場しませんが、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師です。本名は平山藤五、別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られています。ガイドブックにはこんなものがあることは一言も書かれていませんから嬉しい発見でした。

 本町通りを東に進み、NHKの前を通り馬場町の交差点から大手門を目指します。

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 南外堀から「六番櫓」を望みます。

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 大手門の左側にある「千亀櫓」です。

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 大手門、現存する大阪城の大手門は寛永5年(1628)、徳川幕府による大阪城再築工事の際に創建されたものです。

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 その正面にある枡形の巨石です。これは「大手見付石」で表面積が47.98㎡あります。でかい!!

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多聞櫓の巨石 いずれも小豆島から運ばれたものだそうです。

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 大手門から空堀沿いにしっかり歩くと、ようやく桜門に至ります。ここからは、正面に大阪城本丸が見えます。ちなみに、桜門は豊臣時代、この門の前に立派な桜並木があったことからこの名前で呼ばれることになったといいますが、現在の桜門は枡形、土橋等を含め全てが徳川時代に再建されたものです。

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 しかし、その前にも巨大な石の壁があります。桜門枡形には城内でも殊更の巨石が集中していて、名盤のある正面の「蛸石」は城内第1位の大きさで、59.43㎡です。ただ、石自体の厚みはなく、せいぜい50㎝ほどです。何というか、大阪人の見栄を張るような張りぼて的な作りですな。

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現在の大阪城天守

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天守台の上の「金明水井戸」

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 天守閣入口前に置かれている青銅製の大砲は幕府の命により津山藩の鋳工、百済清次郎によって鋳造され、幕末の大坂湾警護のために築かれた天保山砲台に備えられていたものだそうで、紆余曲折を経てここに設置されています。明治時代にお昼時に空砲が鳴らされたことで、「お昼のドン」として親しまれていたそうです。



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 外国人観光客が多く、エレベーターで登ろうとすると長蛇の列です。天守閣からの眺めは、西の丸庭園もビル群に囲まれた箱庭にしか見えません。

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 内堀には優雅に遊覧船が運行されています。

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平成の大改修で金箔が押し直された鯱

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北側

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西側、大阪城ホールが手前に見えます。

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奈良方面になるでしょうか。

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大坂夏の陣のパノラマ図

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松平忠直隊

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真田幸村隊

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 合戦のジオラマです。

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 2買いに展示されている鯱や虎のレプリカ

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大阪城の後は、豊国神社に参拝です。しかし、入口脇の石灯篭は台風の影響で崩れていました。

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太閤秀吉の像と豊国神社。ここはほうこくじんじゃと読みます。

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御朱印だけは頂いてきました。

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大阪城公園

 参拝後は地下鉄森之宮駅に向かいます。