
この水門川遊歩道は大垣駅前東の錦町愛宕神社から俳聖松尾芭蕉の「奥の細道むすびの地」を終点に総延長2,200メートルで、現在は松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に、江戸深川から600里(約2,400キロメートル)を5ヶ月間にわたって巡遊し、『奥の細道』をここ大垣で結んだことをこの四季の路になぞらえ、「ミニ奥の細道」として整備しましています。

で、ここは7番目の句碑が置かれています。それが「尾花沢」で、
「涼しさを 我宿にして ねまる也」
の句が刻まれています。













関ケ原の戦いの際、西軍に属していた大垣城も東軍による猛攻を受けました。落城寸前の大垣城から脱出し、この戦いの様子を語り継いだ女性…おあむ(おあん)は、城からの脱出の際、この松から堀の「たらい」へ乗り移ったと言われています。このおあむが見てきた大垣城 籠城戦の様子は、『おあむ(おあん)物語』として後世に伝えられています。城内にはその一部が展示されています。

大垣城天守台の石垣は自然石を積んだ初期城郭の様式を残しています。いわゆる「野面積み」の石垣ですが、これが実は全国的にも大変珍しい石灰岩の石垣なのです。大垣城の石垣は古生物の化石の宝庫ということですね。ここが大変珍しいところです。石垣のあちこちに、フズリナ、サンゴ、ウミユリ、ペレロホン、シカマイア・・・といった化石が見られます。「お城の石垣で化石ウオッチング」・・・なんてこともできますよ。
さて、升手形でいよいよ天守内に入ります。