古代浪漫紀行-邪馬台国から大和王権への道 | geezenstacの森

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古代浪漫紀行-邪馬台国から大和王権への道

著者/黒岩重吾
発行/講談社 講談社文庫

高松塚の壁画、出雲で出土した358本の銅剣、藤の木古墳、吉野ヶ里遺跡――このような発掘が相次いだにもかかわらず、古代史は相変わらず霧の中にある。古代史ブームの火付役であり、第1人者である巨匠が、曖昧模糊とした霧中に想像力の光を照射し、これまでの学説から1歩踏み込んだ古代への浪漫紀行。---ブックデータベース--- 

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 今年の1月3日、NHKBSで、「英雄たちの選択 新春2時間スペシャル~日本のあけぼの~」という番組が放送されました。そして、カルチャーショックを受けました。授業として日本史を学んだのはもう何十年も前に高校時代が最後でしたが、その日本史で習った知識が時代遅れのものになってしまっていることを痛感しました。

 この番組、今時の人として登場している日本史の磯田道史を中心に渡邊佐和子とMCを勤めながら里中満智子,中野信子,松木武彦,辰巳和弘,石野博信,倉本一宏と行った面々が熱く古代史を語っていました。

 この番組では弥生時代に倭人は既に製鉄の技術を持っていて、青銅とともに色々な武器や農具を製造していたことが最新の研究成果で紹介されていました。そして、各地で発掘された遺跡から倭人の生活環境が大陸との交流の中でかなりの規模の都市国家を形成していたことも明らかにされていきます。

 その代表的なものが奈良県桜井市域の北部の纒向遺跡問い浮こと出す。この名前はしばしば歴史書の中では聞いてはいましたが、個人的には佐賀県の吉野ケ里遺跡のがインパクトが強く、古代日本の卑弥呼の国は九州にあったというイメージを見事に覆されました。番組の流れ的には今は近畿説の方が主力のようです。

  番組はさらに飛鳥時代にまで話を進めますが、箸墓古墳の印象が凄過ぎて後の話はウワノソラでした。

 まあ、そんなことで俄然古墳時代に興味が湧き、邪馬台国の存在も気に懸けながら、しばし古代日本に首を突っ込もうと色々な本を読んでいくことにしました。その手始めが黒岩重吾氏の「古代浪漫紀行-邪馬台国から大和王権への道」だったわけです。

 手持ちの中の詰ん読状態の本であったのですが、松本清張の「古代史擬」以来の小説家の歴史書ということで手に取りました。まあ、この本と平行に、岩波新書の「魏志倭人伝」「宋書倭国伝」、「随書倭国伝」を手元に置き、
邪馬台国への旅ー邪馬台国探検隊
邪馬台国の候補地ー纒向遺跡ー石野博信
海の向こうから見た倭国ー高田寛太
倭人伝を読みなおすー森浩一
等の本を片っ端から読んでみました。

 黒岩氏のこの本は1991年に発売されたものです。氏は1980年代から歴史小説を発表し始め、特に古代史話題材とした小説を多数発表しています。そういう流れの中で書かれた本書は、大阪生まれにも関わらず、この本では邪馬台国は北九州説を取っています。高松塚古墳を始め、吉野ケ里遺跡の発掘等の古代史ブームがあったのは新しい所ですが、氏はここで場師倭人伝の穂国の一に関して「里」の表記と「水行陸行」の表記はダブりという説に立ち、倭人伝の冒頭に登場する帯方郡からの距離を最初は「里」で表し、次に「水行陸行むで笑わしたという立場を取っています。これだと距離的には北部九州が卑弥呼の国と比定出来ます。

 もともと魏志倭人伝は陳寿が複数の資料を用いて倭国に言及しているとも読み取れるので、こういう解釈が成り立つのでしょう。

 この本は別に邪馬台国についてだけ書かれているものではありません。また陳寿の原文では邪馬壹(イチ)国と表記されています。決して邪馬台国と書かれているわけではないのです。古来後表記で済まされてしまっていますが、邪馬台国としても、全文中たったの一度しか表記されていません。はたとて、本当に湯また異国があったかどうかというのも疑わしい所です。

 この本巻末に鼎談が掲載されています。これは、小説現代平成五年二月号の記事を再録したもので、『磐舟の光芒 物部守屋と蘇我馬子』の宣伝みたいな部分もあります。蘇我氏と物部氏の光芒と対立を描いたもので、丁度NHKの番組のラストと被っています。

 そんなこともあり、読んでみましたが、ますます古代史の謎の部分が膨らんでしまい、今年一年江戸時代とともに新発見の続く古代史を少しほじくって読んでみようかなと思っています。