
14日の日曜日は、女城主「直虎」で一躍脚光を浴びた浜松は「龍潭寺」近辺へ出掛けてきました。NHKではもう次の大河ドラマ「西郷どん」が始まっていますが、直虎関係のイベントは昨年1月15日から始まってこの碑が丁度一年の最終日というタイミングでした。
そんなこともあってか結構な人出でした。今回のルートは名古屋から新東名を飛ばして浜松引佐ジャンクション経由で浜松引佐インターチェンジへ折り返すというルートを選択しました。我が家を9時20分にスタートして最初の目的地奥山「広方寺」ら到着したのは10時半でした。東名を走るより早いと思います。
本来の目的はこの奥山半僧坊「広方寺」と門前の蕎麦屋「神谷」で乃木そばとこんにゃくの味噌おでんをたべたいと言う妻のリクエストに応えたものでした。本当は10日の水曜日を予定していたのですが、蕎麦屋が水曜定休という事で14日に繰り延べていました。

広方寺の記事は後に回して、今日取り上げるのは井伊家の菩提寺「龍潭寺」です。昼食後に立ち寄ったのですが、結構な人出でした。何しろイベント最終日という事で、愛三岐を中心に大阪や東京のナンバーの車も多数見かけました。

この「龍潭寺」は個人的には三度目の訪問となります。今回の訪問は御朱印を頂くという目的もありました。小堀遠州作の庭園は、池泉鑑賞式庭園で江戸時代初期に本堂の北庭として築かれたものが有名です。この冬一番の冷え込みという事もあり、池には薄氷が張っていましたが、日中は穏やかな転機に恵まれ、大勢の人が名庭園を鑑賞していました。

最初は龍潭寺から道を挟んで南側に位置する「井伊氏祖 共保公出生の井戸」です。直虎の先祖・井伊氏初代共保が平安時代1010年に生まれたと伝わる井戸で、井伊家の家紋はこの井戸に由来します。田圃の中にぽつんと整備されています。

右端の井桁と「橘」が家紋です。墓石の左手に繁るのが「橘」です。

井伊共保はこの井戸から生まれたと言う伝承があります。

山門
山門に架かっている山号額は「萬松山」と書かれており、朝鮮通信使の雪峯(せっぽう)が彦根藩井伊氏のもとで書いたものが龍潭寺に納められています。
鐘楼堂


龍潭寺では一番古い約400年前の建物。直政母が再婚した松下清景の養子となった松下一定(中野直之の次男)が寄進した建物です。











続きます。