御朱印めぐり | geezenstacの森

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御朱印めぐり

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 尾陽神社の石柱にはその横に、御器所西城址と刻まれています。つまりこの地は、1440年頃、佐久間家勝によって築かれたといわれています。この佐久間氏は名古屋台地の南東部に勢力を持つ小豪族で、この城のほかにも御器所南城・川名城などを築いていました。

 佐久間盛次の代になると織田信長に仕えています。子の佐久間盛政は柴田勝家の甥であったので天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは勝家の軍勢に属しています。この戦いで盛政は討死し、この城は廃城になっています。

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 で、尾陽神社の方は、1910年(明治44年)に創建された比較的新しい神社です。明治時代に尾張藩主であった徳川義直と徳川慶勝を祀るために名古屋開府300年記念事業に合わせ創建されています。ただ、戦争で消失し、現在の社殿は1970年(昭和45年)に再建されたものです。

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 敷地内には、樹齢700年のつくばね樫の木が少し残っています。

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 その樫の木の遺構の右手に久延彦神社(古事記に見られる学問、入試、知恵の神様)があります。

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 普段は訪れる人も少ないのでしょう。この日は、ウォーキングのコースになっていたので御朱印はあらかじめ書いたものが用意されていて、先着50名限定といっていました。(^▽^;)

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 御器所八幡宮は、熱田神宮の鬼門を鎮護するため仁明天皇勅願社として鎮座されたとの言い伝えがあり、9世紀初頭の創建とも考えられていますが、創建年代は不明です。先の尾陽神社と同じく佐久間氏の領地内にあり、神社は御器所荘の総鎮守として祀られていたようです。

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 ここの手水場は龍ではなく亀が鎮座していました。昔、このあたりを「亀口」と称したのが由来だそうです。

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 あ、こちなみにちらは、御器所八幡の東に隣接する神宮寺です。明治の神仏分離令により、御器所八幡と分かれました。

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 日の神、埴山姫神(土の神)、罔象女神(水の神)を祀っているます。防火鎮火の神としても祀られていますが、社殿は第二次世界大戦で焼失し、再建されたのが1992年、しかし不慮の火災でまた焼失したため、1998年に新たに建て直されています。ほんとにご利益があるのでしょうか?

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 境内入り口左手には「弁天池」と呼ばれる池があり、弁才天が祀られているのですが、神仏分離で近くの曹洞宗太平寺へ遷されています。

 この池、2003年に崩壊した石垣の修復作業の際、水を抜いたところ357匹ものカメが見つかりました。近年はミドリガメが目立ち問題となっていますが、多くは駆除され、今では在来種のニホンイシガメ、クサガメなどが主となっています。

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