フルトヴェングラーを追って
著者名 平林直哉
出版者 青弓社

フルトヴェングラーのSP、LP、CDを徹底的に比較試聴し、その問題点を指摘する。国内外の研究家・コレクターと討議を重ね、ヨーロッパに足を運んで情報を収集。著者自らフルトヴェングラーのCDを制作し、そこから浮かび上がる数々の新事実を紹介。貴重なプログラムや写真も多数所収する渾身の書き下ろし!---データベース---
タイトルは『フルトヴェングラーを追って』ですが、正確には『フルトヴェングラーのディスクを追って』と言うところでしょうか。グランドスラム・レーベルにて板起こしディスクを続々とリリースしている平林直哉さんによるディスク探訪記といった趣の本で、中盤はそのグランドスラムの復刻版の宣伝のようになっています。強いて言うなら、「ディスク製作こぼれ話」とでもいう趣きです。個人的にはフルトヴェングラーはワン・オブ・サムですからフルトヴェングラーのすべてに興味があるわけではありませんが、この手のネタは、マニアックな人ほど興味津々で読むことが出来るのではないでしょうか。
今は蓄音機を持っているわけではありませんからSPには差ほど興味はありませんが、復刻音源はあれば耳にします。現在ではすべて著作権が切れているわけですから、何処が復刻してもいいのでしょうが、もっとも忠実にフルトヴェングラーのサウンドを再現しているディスクはどれかという観点から最良ディスクを探している人には、ややまどろっこしい印象もあるでしょう。何より、「良い音」「忠実な音」がいかなるものであるかがフルトヴェングラーの場合にはわからないので(実演を聴いていないから)、結局受け取り手(聴き手)の側の好みが反映されてしまう傾向が否めません。次の様な内容です。
目次
まえがき
メロディア/ユニコーン総ざらい
フルトヴェングラーのSACDについて
フルトヴェングラーのステレオ録音について
フルトヴェングラーの初期LPについて
謎に包まれた二種の『第九番』
朝比奈隆は本当にフルトヴェングラーの『ロマンティック』を聴いたのか?
二人の男
捨て置けぬLP
役目を終えたディスクについて
ひと言添えておきたいディスク
ベートーヴェン『交響曲第四番』の、幻のスタンパー/マトリクスとは何か?
手前味噌
フルトヴェングラーゆかりの地を訪問
トスカニーニの引退
反省すべきこと
ベルリンから届いた最新情報
レコード年表
この本の中で、一番興味深く読んだのはピッチの問題です。これは板起こしには重要な要素です。業界ではLPから音を採ることを「板起こし」というが、モノラルLPの時代は各社、各レーベルがそれぞれ独自の周波数特性でLPをカッティングしており、統一した規格はありませんでした。世界的にほぼすべてのメーカーがアメリカの録音特性のRIAA方式という統一規格を採用するのは1960年代初頭から半ば頃だったという(同書、47ページ参照)ことで、それまでに発売されたレコードはメーカーごとに特性が違っていました。とくにデッカはFFRRを謳っていて、モノラル時代のLPはこの独自の特性を採用していました。ということは、古いLPをRIAA方式で再生してもよい音が出るとは限らない(あるいは悪化するかもしれない)ということなのです。
フルトヴェングラーの録音は、言うまでもなく、SP時代からモノラルLP時代にまたがっているので、録音日時がいつでどんな規格を採用したかを特定しなければ、「板起こし」は成功しません。著者は、もし古いLPの音質について書いた文章があったら、「どの周波数特性で聴いたのか」がちゃんと記してあるか確かめてほしいとアドバイスしている(同書、50ページ)ほどです。フルトヴェングラーのLPやCDの音質が多様な理由の一端もここにあったのでしょう。
もう一つはピッチです。一時ターンナバウトからウラニアのエロイカの復刻盤が発売されました。小生も手に入れましたが、評論家がいうほど感動的な演奏とは思えませんでした。後になってこのターンナバウト盤のエロイカはピッチが高すぎたという評価でした。要するに、SP時代、LP初期時代のピッチはあてにならないということです。著者はオリジナルのウラニアのエロイカを吉井新太郎氏から借りてこのLPを聴いたらしいのですが、「軽くてややハイ上がりな音質ではあるが、既存の復刻盤にはない力強さと輝かしさがあった」(同書、141ページ)といいます。そこで、このLPから復刻してみようということで取り組みますが、再生周波数特性は古いNAB方式だったようですが、ピッチを決めるのに苦労したという。というのは、このLPは第1楽章と第2楽章が片面に詰め込まれていたので、裏の第3・4楽章と音質がかなり違って聴こえるからだそうです。そこで、ボーナス・トラックとして、ピッチ未調整の第1楽章だけを付けることによって、オリジナルのピッチが非常に高いことがわかるように配慮しています。
まあ、こういう様々な製作に関わる苦労話がここでは集められています。一時話題になったバイロイト音楽祭のEMI盤と後に発売されたオルフェオ盤の演奏の違いについても詳細に記されています。足音の有る無し、編集の有無など興味がある人は読んでみるといいでしょう。
一つ言えるのは平林氏は、一般の音楽評論家とは距離があり、何よりも自分の感情・感覚に正直で、既存のメーカーの色には染まらず、それをそのまま本に書いていることです。そういう点では、「掘り出し物」的なLPやCDの紹介は便利でもあるし、「初期盤」とやらをやたらありがたがるマニアと一線を画しているのも、好感が持てます。また、ファンからのメールや掲示板等での批判的な投稿に一喜一憂するさまも書かれているので著者への親しみも湧いてくるというものです。
彼自身が製作したCDに情報を提供してくれたドイツの友人や、優れた解説を書いてくれたアメリカの研究家などの協力があってこそ発売できたものだという裏話も面白く読めますし、田伏紘次郎氏や韮沢正氏といった、あまり表に出てこなかったが過去に大いに貢献してくれた人のことを紹介しているのも、多いに評価出来ます。
読物として気楽に読めるのは後半の「フルトヴェングラーゆかりの地を訪問」でしょう。フルトヴェングラーはベルリンの生まれですが、埋葬されたのは彼の母の墓があるハイデルベルクでした。これは当時のベルリンの地がロシアの占領区の東ベルリンということもあり、出入りが困難と言うことでそうなったといいます。そして、多くの演奏会が開かれたタィタニアパラストにも出向き、昼と夜の表情の違いについても書かれていて、旅行記としても楽しく読めます。
図版も豊富で写真を見ているだけでも目新しい発見があります。
参考までに、
DECCAが採用した「FFRR」カーブと「RIAA」の関係性を探る